森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

山猫ノート 阪神淡路大震災記 1

 1995年1月17日、朝。
 まだ寝ていた。けれど、揺れが来た時にはもう起きていた。五時四十六分ーーの数分前か、数秒前か、地鳴りを感じた。それが伝わってくる気味悪い気配で目が覚めた。方角は分からなかった。でも、それが遠くの方からものすごい速さで迫ってくるのが感じられた。あまりにも異様な感覚だった。そのことと前夜に感じた小さな揺れとが結びついた。これは地震だ、と直感した。そしてすぐにあれがやってきた。
 縦だか横だか、とにかく激しく揺れた。いや、自分の身体が揺れているという実感はなかった。部屋に置いてあったローボードの上のテレビやステレオが飛び跳ねて大きな音をたてた。ローボード自体も飛び跳ねたのだと思う。それとも家全体が跳ねている音だったかもしれない。カタカタと妙に軽快な音が聞こえていた気もする。雨戸を閉めていたせいで、部屋は暗かったから、それらが踊る様は見られなかった。ただただ、激しい音だけがしていた。それが印象に残っている。
 自分の部屋にあったのがローボードじゃなくて背の高い洋服ダンスだったら、どうなっていただろう。あの揺れの直後、そうした大きな重い家具の下敷きになって亡くなった人が何人もいたのだ。いや、何百人、何千人もいたのだ。私が助かったのは本当にただの偶然だ。だって、他の部屋には大きな家具はいくつもあったし、防災を考えて自分の部屋にそれを置かなかったというわけでもなかったし。……考え始めたらキリがない。でも、あの時はそんなあれこれを考える余裕なんてなかった。えらく長く揺れるなぁ、と漠然と思っていただけだった。
 とにかく、幸いにも私の部屋には大きな家具はなかった。不安定なものと言えば、デスクトップのパソコンがあったが、あれはラックの下にローラーが付いていたから、転がっただけですんだ。

 

 

 

 

 

 

 

  
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