山から街に出てきたわたしには、かつて山という故郷がありました。
山にはわたしが家族と過ごした家があり、わたしが通った小学校があり、わたしが遊んだ田畑があり、わたしが泳いだ川がありました。
幼馴染と通った小学校は、お城の跡にありました。
幼馴染とはもう何十年も会っていません。
こんな歳になって、今さら会ったとしても、誰が誰だか分からないでしょう。
わたしが遊んだ田畑には道ができ、家が建ちました。
追いかけっこで走った道がどこだったのか、もうすっかり思い出せません。
故郷の家はほんの小さな建物でした。
わたしの部屋は弟と共同。
3畳きりのスペースに勉強机が2つと本棚が1つ、衣装棚が1つ。
それでもう部屋はほとんど一杯。
わたしと弟がまだ小さかった頃は、それらの家具を並べた残りの隙間に布団を1枚敷いて、2人並んで寝ていました。
わたしたちが少し大きくなった頃にはそこに2段ベッドを置いて、上下に分かれて寝ることになりました。
わたしが高校を卒業して家を出た後は、弟がその部屋を1人で使いました。
たまに帰省したわたしは、以前は客間として使っていた仏間で寝ることになりました。
弟と2人並んで寝たのはいつが最後だったろう。
でも、
そこにあった家がなくなってしまった今、わたしには帰るべき故郷はありません。
故郷の家は、父が亡くなった後、街に暮らすわたしと一緒に住むことを選んだ母が処分しました。
母の思いをわたしは受け入れました。
まだ若かったわたしも街を選びました。
そして、故郷に家がなくなり、気がつくと、わたしには帰るべき場所がなくなっていました。
山から都会に出てきたわたしにはかつて山という田舎がありましたが、そこにあった家を売却してしまった今、わたしには帰るべき田舎はなくなってしまいました。あり続けることの意味の大きさを今更ながらに思います。 / “ただそこに在る。 -…” https://t.co/RhGJhIiNhH
— 山猫🐾 (@keystoneforest) 2018年8月25日
かつてあった故郷の家には家族が暮らし、友達が遊びに来てくれました。
もうその家はありません。
故郷という土地があっても、帰る家がなければ、そこにわたしの居場所はありません。
故郷はただ通り過ぎるだけの場所になってしまいました。
地震や洪水や土砂崩れで故郷の家をなくした方々がいらっしゃいます。
古くから住んできた土地を断腸の思いで諦めて、街に移ろうとする方々がいらっしゃいます。
故郷は動かず、そこにそのままあったとしても、家がなければ居場所はありません。
それでも、街にある家は仮の住まい。
心はいつも故郷を思います。
街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。
ブログ「森の奥へ」のプロモーションビデオです。次男Kが作ってくれました。
今日の記事は ナマけものさん (id:flightsloth) の記事に書かせていただいたブックマークコメントを元にしました。
いつも、ありがとうございます。