私は走っている。
生まれたときから走っている。おそらく、生まれてくる前も走っていたはずだ。死んだあともまだ走っている気がする。
私は走っている。
眠くてたまらないときも走っている。眠らずに走っている。眠りながら走っている。走りながら眠っているのかもしれない。目が覚めても走っている。目が覚めなくても走っている。
私は走っている。
食べながら走っている。吐きながら走っている。食べて吐く、吐いて食べる。食べて吐く、吐いて食べる。このリズムで。
私は走っている。
笑いながら走っている。笑いを堪えて走っている。笑いは堪えた方が良いから走っている。誰かを喜ばせる笑いと傷つける笑いがある。どっちか分からないから、笑い過ぎない方が無難。それに、笑い過ぎると空っぽになってしまう。笑ったそばから自分の中身が抜け出てしまう。笑い続けるだけの奴らを何人も見てきた気がする。中身が抜けてしまわないよう、笑いを堪えて、私は走っている。
私は走っている。
泣きながら走っている。泣かずに走ってもいる。涙は堪えない方が良いと思いながら走っている。涙を堪えると、いろんなことが思い出される。次々と思い出される。思い出したくないから、涙を流しながら走っている。それでも、思い出されるときがある。思い出した方が良いときもある。そんなときは、もっともっとたくさん泣く。涙が海いっぱいに溜まるまで。
私は走っている。
どこへ向かって走っているのか、早くそこにたどりついた方が良いのか、遅くても良いのか、遅すぎると良くないのか。何も分からずに走っている。誰もその答えを教えてくれない。その先に行って帰ってきたヒトなど、どこにもいない。だから誰にも分からない。たぶん分からない方が良いような気がする。分かったらきっと走れなくなる。だから、また走っている。
私は走っている。
ずっとずっと走っている。休みたいと思うこともある。でも、走り続けた方が楽だと思うから走っている。走ることしか考えないで良いから走っている。走ることのほか、何もしてこなかったから、休むことが怖い。だから走っている。
私は走っている。
走っているのは私だけじゃない。ほら、一緒に走っているヒトがいる。前にも後ろにも走っている。右にも左にも走っている。みんな一緒に走っている。ちょっと疲れてきたから、誰かが休めば一緒に休もうと考えながら走っている。誰か早く休んでくれよと願いながら走っている。でも、誰も休まない。誰も休まないから走るしかない。右を走っているヒトも左を走っているヒトも、お互いに誰が先にいつ休むのか、横目で伺いながら走っている。最初に休むヒトになりたくはない。走り続けるしかない。だから、、、
私は走っている。
辺りが暗くなってきた。それまで明るかったかどうか、さあ、よく覚えていない。でも、今はすっかりと暗い。それは分かる。はっきりと暗い。暗くて前が見えない。だんだん暗くなってきて、右のヒトも左のヒトもよく見えなくなってきた。でも、右からも左からも、走っている息遣いが聞こえてくる。前は見えない。そこにはもう誰も走っていない気がする。前方から別の気配が迫ってくる。何かにぶつかりそうで怖い。ぶつかりそうな何かを遮ろうとして、両手を前に伸ばして走る。両手を前に伸ばすと走りにくい。体がふらつく。フラフラしながら走っている。
私は走っている。
あとどれだけ走ればいいのか誰も教えてはくれない。もし教えてもらっても、走ることをやめないのかもしれない。前を走っていたヒトの息遣いはすっかり聞こえてこなくなった。右や左を走っていたヒトの息遣いも、時々聞こえなくなる。そのうち、私の息遣いしか聞こえなくなってくる。
私は走っている。
たった一人で走っている。ひょっとしたら、ずっと前からそうだったのかもしれない。そうかやっぱり、はじめから一人で走っていたのだった。そう思う方が気が軽くなる。
私は走っている。
重く弱く、ゆっくりと走っている。息が苦しい。息が苦しい。
私はまだ走っている。
息が苦しい。息が苦しい。どうしようもなく苦しい。
いつしか、
私は走るのをやめた。私は私の息遣いが聞こえなくなったのに気づく。私は私を離れてゆく。どんどん離れてゆく。息苦しさが消えてゆく。最初から少しも息は苦しくなかったような感じだ。なんの問題もない。だから、また息をする。
どこかで声がする。声は軽やか。息を吸って吐いて。そして、、、
位置について。用意、ドン。
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