森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

わたしは何を見ればいい?

目を信じてはいけない、見ているものが宇宙のすべてだと思ってはいけない、真実だと思ってはいけない。見ているのに見えていないものがある。
たぶん、そんなことはみんな知っているはず。
でも、すぐにそれを忘れてしまう、勘違いしてしまう、目を信じてしまう。
宇宙にはヒトが知らない情報が無数にあるし、知っていることの方が少ないくらい。ヒトが見ているのは、宇宙のごく一部でしかない。ごく一部、ほんのちょっとだけ。

耳を信じてはいけない、聞こえているものが宇宙のすべてだと思ってはいけない、宇宙には無数の音が鳴っている、静寂なんて宇宙のどこにもない。
触れることができるから何かがあるわけじゃない、触れることができないから何も存在しないわけじゃない。そもそも、触れようとするその手が確かなものだと決まったわけじゃない。
たぶん、そんなことはみんな知っているはず。

 

たとえば、ヒトの目が見ているものは、はじめに原因があって、そしてそれからあれこれあって、最後に結果がくる。この一方向の流れで見ている。でも、はじめに結果があって、そしてそれからあれこれあって、最後に原因が明らかになる。こうした流れなのかもしれない。
時間は宇宙を解釈する一つの手段に過ぎない。

 

みんな、何を見てる?

ねえ、みんな。

わたしは何を見ればいい?
何を見ないようにすればいい?

わたしに見えているものは、みんなにも見えているの?
わたしが見ているものは、わたしが見ていると思っているものは、みんなと同じものなの?
ねえ、教えて。

 

たとえば、ヒトの耳に聞こえている音は、どこかに音の源があって、それが波となって空間を揺らして、それからあれこれあって、最後に耳に届く。この一方向の流れで聞いている。でも、はじめに空間が揺れて、その波が広がって、また集まって音を生み出すのかもしれない。
音は耳の中でしか鳴っていないのかもしれない。

 

みんな、何を聞いてるの?

ねえ、みんな。

わたしは何を聞けばいい?
何を聞かないようにすればいい?

わたしに聞こえている音は、みんなにも聞こえているの?
わたしが聞いている音は、わたしが聞いていると思っている音は、みんなと同じ音なの?
ねえ、教えて。

 

 

今回も山猫のつぶやきです。ただそれだけです。

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

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山猫🐾@森の奥へ

似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。