目を信じてはいけない、見ているものが宇宙のすべてだと思ってはいけない、真実だと思ってはいけない。見ているのに見えていないものがある。
たぶん、そんなことはみんな知っているはず。
でも、すぐにそれを忘れてしまう、勘違いしてしまう、目を信じてしまう。
宇宙にはヒトが知らない情報が無数にあるし、知っていることの方が少ないくらい。ヒトが見ているのは、宇宙のごく一部でしかない。ごく一部、ほんのちょっとだけ。
耳を信じてはいけない、聞こえているものが宇宙のすべてだと思ってはいけない、宇宙には無数の音が鳴っている、静寂なんて宇宙のどこにもない。
触れることができるから何かがあるわけじゃない、触れることができないから何も存在しないわけじゃない。そもそも、触れようとするその手が確かなものだと決まったわけじゃない。
たぶん、そんなことはみんな知っているはず。
たとえば、ヒトの目が見ているものは、はじめに原因があって、そしてそれからあれこれあって、最後に結果がくる。この一方向の流れで見ている。でも、はじめに結果があって、そしてそれからあれこれあって、最後に原因が明らかになる。こうした流れなのかもしれない。
時間は宇宙を解釈する一つの手段に過ぎない。
みんな、何を見てる?
ねえ、みんな。
わたしは何を見ればいい?
何を見ないようにすればいい?
わたしに見えているものは、みんなにも見えているの?
わたしが見ているものは、わたしが見ていると思っているものは、みんなと同じものなの?
ねえ、教えて。
たとえば、ヒトの耳に聞こえている音は、どこかに音の源があって、それが波となって空間を揺らして、それからあれこれあって、最後に耳に届く。この一方向の流れで聞いている。でも、はじめに空間が揺れて、その波が広がって、また集まって音を生み出すのかもしれない。
音は耳の中でしか鳴っていないのかもしれない。
みんな、何を聞いてるの?
ねえ、みんな。
わたしは何を聞けばいい?
何を聞かないようにすればいい?
わたしに聞こえている音は、みんなにも聞こえているの?
わたしが聞いている音は、わたしが聞いていると思っている音は、みんなと同じ音なの?
ねえ、教えて。
今回も山猫のつぶやきです。ただそれだけです。
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