森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

地球ごと埋め尽くしたる落ち葉かな 〜教育実習生担当日誌⑶ ~俳句tweetより~

教育実習日誌に書いたわたし(指導教官)側の文章を、備忘録として、そして40年ほど前に教育実習生だったわたし自身への応援メッセージとして書き残しています。
教育実習は2週間(10日間)。7日目からの記録です。

1日目から6日目はこちらに書きました。→捨て猫の小さき肉球いわし雲 〜教育実習生担当日誌(1) - 森の奥へ 秋深けてまだ生きてをり螽斯 〜教育実習生担当日誌(2) - 森の奥へ

 

日目
(教育実習の先生は実習期間中に一度、他の先生方にも参観してもらって授業を見てもらう機会を持たないといけないことになっています。この日はその研究授業の日でした)

研究授業お疲れ様でした。授業については反省会でお話しした通りです。今回はコミュニケーションが取れる生徒たちとの授業でしたが、特別支援学校の肢体不自由部門ではコミュニケーションをとるのが難しい生徒の方が多数です。本校での実習はあと数日となりましたが、そのコミュニケーションをとるのが難しい生徒たちに教員がどのような声かけや言葉かけをしているかも、よく見ていただけたらと思います。

8日目
「動作」の授業(体の機能に直接働きかける授業です。リハビリ的な要素を持っています)は特別支援学校(肢体不自由部門)の核になるような位置にあります。動作の授業があるから特別支援学校で学ぶことを選択されるという保護者もいらっしゃるようです。高等部卒業までには歩けるようになりたい、一人で座れるようになって欲しいといった、本人や保護者の願いに寄り添いながら、時間をかけて継続的に取り組んでいます。

9日目

(この日は、他の実習生さんの授業を参観されました)

人の授業を見る、真似る、盗むことで授業は上手くなっていくと思います。できれば、自分の授業を客観的に見るのが一番だと思います。自分の授業をビデオに撮って振り返るのも方法ですが、それはなかなか難しいので、研究授業などで人の授業を見て、自分の授業を振り返るというのが一般的な方法だと思います。授業後に参観者からのアドバイスや指摘などを聞く機会があれば、それを自分のこととして真摯に受け止め、授業改善を重ねていく。より生徒たちの興味を引き出せるような方法や教材を取り入れていくという姿勢が大切だと思います。

 

日誌の記録は次回で終わりです。

以下は、Twitterに投稿した自作の俳句(11月19日〜11月23日)です。

 

 

地球ごと埋め尽くしたる落ち葉かな

秋が深まるにつれ地表は枝を離れて落ちてきた葉っぱで覆い尽くされていきます。赤や黄色や茶色の落ち葉が地面に敷き詰められた様子を宇宙から見ると、大地が衣替えしたように見えるのかもしれない、と妄想しました。けれど本当は規模としては「列島ごと」くらいなのです。「地球ごと」は大袈裟すぎたでしょうか。

 

冬の夜の静寂の理由猫に訊く

前回の記事で3句詠んだ螽斯(キリギリス)の物語の最後の場面です。

秋深けてまだ生きてをり螽斯→螽斯闇夜に鳴きて返事来ず→早朝の庭に落ちたり虫の羽→冬の夜の静寂の理由猫に訊く

冬の夜の静寂の理由は、あれほど喧しかった虫たちの声が聞こえてこなくなったからです。みんな静かに横になり動かなくなったよ、とわが家の庭をテリトリーにしている野良猫君が教えてくれました。

 

冬帝と鬪ふ仕度蒲団干す

冬帝は冬将軍のことです。どちらも冬の季語です。
帝と言い将軍と言い、相手に不足はありません。これはもう闘うしかない!
ところで、蒲団干すも冬の季語で、この句には季語が二つあります。季重なりになってしまっていて、これで良いのかどうか分かりません、、、
多分その昔、蒲団は防寒用として冬に使うもので、夏蒲団なんていう贅沢なものはなかったのかもしれません。蒲団干しは冬仕度なのです。
その冬仕度が寒さとの戦いの準備だと思えば気合が入って体がカッカと温まる、かもしれません。

 

写メ撮られ焦る我の後ろに月

写真に写るのは苦手です。それなのに、いきなりスマホを向けられたりしたらびっくりするじゃないですか。てっきり写真撮られるって思っちゃうじゃないですか。え? 思いませんか?

よくある勘違い。これはあまりに月並みでした、、、ごめんなさい。

 

等壓線縱に揃ひて寒波矢の如く

旧字旧仮名遣いで表記されている俳句があります。絶対にそう書かないといけないわけではないようですが、旧字旧仮名遣いには憧れの思いを持っています。ネットで調べればすぐに教えてくれるので、最近は旧字旧仮名で書くようになってきました。それより遥かに難しいのは文語文の言い回しです。古文の勉強をサボったツケがこんなところに響いてくるとは思ってもいませんでした。
今回の句を新字で書くとこうなります。

等圧線縦に揃ひて寒波矢の如く

わたしは、以下の「まるやるま君」(まるやるま君 ver0.4 2005/08/26)というオンライン上の変換ソフトを使って旧字旧仮名遣いを確認させてもらっています。「等壓線」とか「縱」という漢字が出てきてちょっと驚きましたが、旧字を使うととても印象的になる気がしています。

hp.vector.co.jp

俳句に戻ります。
わたしは天気予報を見るのが好きです。次の日に傘が必要かどうかはけっこう重要な情報だと思ってテレビを観ています。等圧線が水平方向に引かれている天気図はよく見ますが、これからの寒さの時期にはそれが縦に並んでいることがあります。そんな天気図に出会うとわたしはそれを繁々と見つめてしまいます。とりわけ
西高東低がはっきりとした天気図は等圧線が縦にぎゅっと詰まって並んでいていたってシンプルです。けれど、自然を表現したものとして、このシンプルさはかえって異様です。勢いを感じます。何かが襲ってくるのが直感的に分かります。等圧線の縦の列がその通り道のようです。翌朝わたしたちはその道を通ってきたものの正体を身をもって知ることとなります。なんだか想像しただけで背筋に冷たいものを感じます。
ずいぶんな字余りになっています。「寒波かな」とか「寒波来る」とかにすれば下五の字数になったのですが、それでは襲ってくるものの怖ろしさが伝わらない気がして、、、

 

 

 

もし、お心に留まった句がおありでしたら、コメントいただければ幸いです。感想をいただくことで、たくさんの気付きを得ることができます。
また、いただいたコメントをブログ中で紹介させていただくことがあります。どうぞご了承くださいますようお願いします。

 

 

① 地球ごと埋め尽くしたる落ち葉かな

 

② 冬の夜の静寂の理由猫に訊く

 

③ 冬帝と鬪ふ仕度蒲団干す

 

④ 写メ撮られ焦る我の後ろに月

 

⑤ 等壓線縱に揃ひて寒波矢の如く

 

 

 

 

 

以下、大変手前みそで恐縮ですが、、、前回の記事秋深けてまだ生きてをり螽斯 〜教育実習生担当日誌(2) - 森の奥へにいただいたコメントから、良かったよと言っていただいたコメントと句を紹介させていただきます。

 

① 昨日ごと冬菜を洗ひ玉子焼く

kuninnkuninn

冬の朝の一コマ、忙しい朝かゆっくりした朝かはわかりませんが、一日が動き出そうとする気配が感じられます。(#^.^#)

UrushiUshiruUrushiUshiru

冬菜を使った卵焼きを思い浮かべて涎が出そうです😋

URURUNDOURURUNDO

摘んだ野菜と卵を食べ、新聞を隅から隅まで読む変化のない日常。でも、これが平和な日々なのだと大切に思う。大切に思う。

harienikkiharienikki

①と②が好きです。①は朝の卵を焼く台所の日のあったかさを感じます。②はふんわりとした暖かさを感じました。今日はグッと気温が下がったので、私は温もりが欲しいのかも知れませんね。(^。^)

snow36snow36

①がいいなと思いつつ、②に おかえりと言う立場なのに、ただいまと帰りたいと思う家があることにふと気づきました。

 

 

 

 

 

くにん(id:kuninn)さん、漆うしる(id:UrushiUshiru)さん、ururundo(id:URURUNDO)さん、チャーコ(id:harienikki)さん、snow36(id:snow36)さん、そしてこのほかにもコメントをくださったみなさま、ありがとうございました。

 

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よければtwitterものぞいてみてくださいね。山猫 (@keystoneforest) | Twitter
 

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山猫🐾@森の奥へ

似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。