森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

山猫ノート 3

 

 

動物園に行ってきた。

平日の園内は思ったより混んでいた。

子供たち。引率の先生。子供を連れたママ。障害者のグループ。高校生くらいの年代のグループもいた。笑顔があふれていた。

象舎の前に子供たちが集まっていた。象が鼻を持ち上げると、子供たちが歓声をあげた。

そのあと象は後ずさりを始めた。どんどん後ろ向きに歩き始めた。そのまましばらく同じ所をぐるぐる歩き続けていた。

昼食時、パンダ舎をのぞいてみた。

人間たちが食事を摂っている時間帯、パンダは外の運動場にはいなかった。

屋内のパンダの部屋の前には数組の親子連れがいただけだった。

パンダはこちらに背中を向けて座っていた。呼んでも振り向いてくれない。

人間の顔は見飽きた、一人にさせてくれよ。と背中が言っているようだった。

 

・人間は人間の顔に興味を抱く。どんな人間でも顔にはドラマがある。強弱の差こそあれ、かならずドラマをもっている。その訴求力はなにものにもまさってつよいのだ。

開高健。

 

・笑いとはすべて苦しみに根ざしているもの

・俳優は政治家である必要はないが、政治家は俳優でなければならない。

フィリップ・ホセ・ファーマー

 

・仏陀なども、生死を超越出来た人というよりも、生死の苦を堪え忍ぶ天才だったと俺には思われるね。そんな気がするよ。苦を面にあらわさずに、平和そうな顔をしていただけだぜ。きっと。

亀井勝一郎

 

・かたぎってのは、殺人容疑がかけられて逃げ出さなくちゃならんときに、会社に欠勤届を出さんといけないじゃんないかしらって苦にするタイプの人間なんだ。

・人間の心の中には、結局かわいがりたいという欲求、愛したい、という本能が痛切に存在しているのだ。人間は女を愛し、子どもをかわいがり、犬や猫やウサギや小鳥を愛する。人間が孤独のために死ぬのは、愛されないときよりむしろ愛を注ぐ対象がないときだ。最も愛される側である子どもでさえ、人形をかきいだき、それにぶつぶつとやさしいことばをささやきかける。それは愛されたいという欲求のうらがえしなのかもしれないが、しかしまた、ひたすら愛してやることのできるものを求めてーー愛とはかたちをかえた権力欲、支配欲である、と誰かが云っていなかったか?

栗本薫

 

・竹中半兵衛はかつて官兵衛に、ーー人のいのちは短い。ようやく一事がなせるのみ。一事のほかは私はやらない。といったことがある。

司馬遼太郎

 

『野音』の2ページ目の言葉。

この頃のフリーター山猫は愛を注ぐ対象を探していたのかも知れない。

檻の中の動物たちもきっと同じ思いでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  
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