森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

山猫ノート 2

 

 

『野音』を読み返してみると、「'83 4 4」と最初のページの右肩に書いてある。

そうか、だから始めたのか。思い出した。

83年4月、山猫は肩書を失った。当時はフリーターなどという言葉はまだなかった。が、その月のはじめから、まさにそのフリーターとしての生活を山猫は始めていた。

 読むことと書くことが無限に与えられた生活だった。

 

・私のファーストキッスは満員電車の窓でした。

・季節の変わり目に満員電車に乗ったらナフタリンのにおいがした。

 

野音の最初に書いたのはこの2つ。どちらも『ビックリハウス』という当時の月刊誌(だったかな?)から拾った言葉のようだ。お題が「満員電車」だったのだろうか。

 

 ・初恋とはさわやかな感傷を残すもの、深い傷を残しはしなかったようです。

 ・たった二つのあの母音。

・女性は概してまじめであり、まじめであることはしばしば視界の狭い眼と囚われた精神を意味する。

 

この3つは倉橋由美子。

 

・伊豆七島のずっと先のほうに八丈島があるわけですね。昔は鳥もかよわぬと言われ、今は全日空がかよっているわけです。

 ・新宿から小田急電車にのると、上着ともコートともつかないぞろりと長い学生服を着て「オレ、かなりばかだもんね」という熱気をひたすら放出している花の応援団ふうに沢山出会う。

 

これは椎名誠。

 

・不思議なことに、〈自由〉を求めいていたはずの青年たちが、自発的に(深層心理的にはニセの自発性なのだが)管理されたがっている。

・大学時代の〈自由〉の時期はむしろそうした苦しみや努力を自らの課題として引きうけようとする姿勢を育てていたのではないか。

 ・一般に給与は能力に応じて支払うということになっている。しかしそのときに言われる能力というのにはインチキがある。課長の能力があるから課長になるんじゃなく、課長になったから課長の能力が発揮できるということが大いにある。

日高六郎『戦後思想を考える』

 

手当たりしだいに読んでいるみたいだ。山猫のフリーター生活、前途多難の色が濃い。

 

 

 

 

 

 

 

 

  
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