森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

鳩たちの夜 (創作短編小説)

創作小説です。
かなり前に書いた作品です。実は、あと何作か以前に書いたものがあります。ほとんどが十数年前に書いたものです。当時参加していた小説同人誌に掲載するために書いたものです。
読み返して手直しをして、これからぼちぼちアップしていこうと思っています。自分が書きたかったのはやっぱり小説だったんだなって、不出来な俳句を詠んでいるうちに気付きました。でも、だからといって、小説だったら俳句より出来が良いかというと、決してそういう訳ではありません。書いていて楽しいのが俳句よりも小説だったということです。
自分が楽しいからっていうだけじゃなくて、読んで楽しんでもらえたら、さらに嬉しいです。
ちょっとだけ長いです。文字数は4500字ほど、約9分で読めます。

 


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鳩たちの夜    by 摩耶摩山猫

 

 一人住まいの部屋に帰る。郵便受けを確かめる。入っているのはピザのチラシとダイレクトメールの何か。丸めてそのままゴミ箱に放り込む。
 部屋の
灯りを点ける。まだ18時過ぎ。部屋の中はそんなに暗くはなかったけど、明るくすると落ち着く。
 椅子に座ってテレビのスイッチをオンにする。いつもの夕方18時のニュース番組が映る。「ただいま」。一方的に顔馴染みになった女性アナウンサーに帰宅の挨拶をする。
 部屋は1DK。小さいけど、もちろんベランダ付き。窓越しに見えるそのベランダの止まり木に鳩が三羽着いていた。一羽は白い小鳩で、もう一羽は羽根の茶色い見慣れない鳩、そしてもう一羽は丸々と太った黒っぽい奴。太ったのは僕の鳩だ。三羽はそろって同じ方を向いて、嘴のずっと先にある夕陽が沈んでいくのをぼんやりと眺めている。小鳩の白い羽根がほんのりと夕陽に染まっている。こいつはユミ子の鳩だ。真っ先にそいつの話を聞くことにする。
 ベランダに出て小鳩の足元に人差し指を差し出すと、ひょいと飛び乗ってきた。慣れた動作だ。脅かさないようにそっと身体を抱いて部屋に連れて入る。小鳩は首をすくめてキョロキョロと辺りの様子を窺っている。こいつのいつもの癖だ。ベッドサイドにある止まり木に移してやると、まずは止まり木に引っかけてあるコップの水を嘴で二度三度つっついた。
 僕は小鳩に触れた手の匂いを嗅ぐ。ユミ子の匂いがほんのりと漂ってくる。そんな気がした。そいつの頭をゆっくりと二度撫でる。驚いたようにクルクルと動く瞳が僕をとらえる。僕も小鳩を見返しながらユミ子の笑顔を思い浮かべる。小鳩の表情がユミ子の笑顔に見えてくる。
 小鳩は嫌々をするように首をかすかに左右に振り、ゆっくりとしゃべり始めた。
「明彦君? ユミ子です。急な仕事が入っちゃったんだ。今夜は家に帰るのはかなり遅くなると思います。また明日でんわする。ごめんね。それじゃあ」
 ユミ子の話はそれだけだった。しゃべり終えると小鳩はもう一度首をすくめ、キョロキョロと周りに視線を泳がせた。そしてベランダの鳥カゴ目がけてふわりと一度羽ばたき、まるで僕から逃げるみたいに、開いたままのカゴの扉から中に入っていった。カゴの中には十羽ほどの鳩がいつになるか分からない自分の出番を退屈気に待っている。
 明日でんわするって? 明日出かけるドライブの話をしようと思っていたのに、明日でんわくれたって遅いじゃない。一体どうしちゃったんだ? それに、仕事で遅くなるなんて、そんなこと今までなかったし、、、
 ユミ子と付き合い初めてもうすぐ半年が経つ。出来れば一緒に住みたいと考えている。その気持ちはユミ子も同じだ、とついさっきまで僕は思っていた。でもそれは僕の独りよがりだったのかも知れない。この前の週末は親戚に不幸があったっていうことで会えなかったし、昨日の夜はユミ子がでんわをくれる番だったのに、結局連絡はなかったし。
 それなのにユミ子の声を聞くと、そんなもやもやを全部許してしまう。いつもの「それじゃあ」ってでんわを切るときの甘い声は、僕の心に翳っていた暗い気分をパチンと弾けさせてくれた。
 僕は気を取り直して、もう一羽の茶色の方のでんわを聞くことにした。茶色の頭を二度撫でる。茶色はテキパキとした女性の声でしゃべり始めた。聞き覚えのない声だった。
「山本明彦様でいらっしゃいますか。初めておでんわいたします。わたくし、マルエイ商事の川上と申しますが……」
 僕は慌てて茶色の奴を部屋から追い出した。うっかりこいつに餌なんかやってしまったら、これから毎朝毎晩、あれを買えこれを買えっていうセールストークを聞かされることになってしまう。僕は前に一度、妖しい女性の声に誘われてついつい餌をやってしまい、それから日に何度も呪文のように繰り返される甘い勧誘の言葉をささやかれたことがあった。あれは保険の勧誘だった。一カ月間それを続けられ、とうとう根負けして契約を結ばされてしまった
んだ。
 この種の勧誘業界の人たちが使っている鳩はしつけが悪いというか、そういう風にしつけてあるからだろうけど、一度しゃべり始めるとなかなか止まらない。契約してしまった保険は独り身の僕には身の丈を越える不必要なものだった。
 もう一羽の太っちょは、一週間ほど前、高橋に貸した鳩だ。一緒に飲んだ帰りに、高橋は話があるって僕の部屋に上がり込んできた。結局何も話さないまま寝てしまって、後ででんわするから一羽貸してくれって言って、僕の鳩を連れて帰ったんだ。長い間カゴから外へ出したことがない鳩だったから、運動不足ですっかり肉がついてしまっていた。
 太っちょの頭を二回撫でる。鳩は高橋の声でしゃべる。
「山本……。俺、高橋だけど。ちょっとでんわじゃなきゃ話しづらいことがあって。この前、お前の家に寄ったときに話すつもりだったんだけど、お前の顔見てるとどうしても話せなくて。俺さ、見ちゃったんだよ。ユミ子ちゃんがあいつと歩いているところ。黒崎だよ。前にユミ子ちゃんが付き合ってた男。ユミ子ちゃん、黒崎の女癖が悪いのに我慢出来なくて別れたって言ってたけど、やっぱりまだ未練があったと思うんだ。嬉しそうな顔して黒崎と腕組んでたから。ごめん。山本……。こんなこと、お前に言おうかどうしようか迷ったんだけど、黙ってられなくてさ。諦めた方がいいんじゃないかな……。ユミ子ちゃんのこと責めるなよな。……また飲みに行こうぜ。やけ酒ならいつでも付き合ってやるから。じゃ、またでんわする」
 しゃべり終わると太っちょ鳩は目を丸く見開いて僕を見つめた。ただの口真似ででんわ相手の言葉を伝えるだけのこいつらに、高橋の言った意味なんか分かる
はずないだろうけど、目をそらした途端に僕が泣き出してしまうかも、と心配しているような表情で太っちょ鳩は僕を見た。
 高橋の話は多分本当だろう。さっきのユミ子のでんわも、そういうことがあったからだろうし。
急なデートを急な仕事と言い替えただけのことだ。ユミ子は黒崎のことが好きだったもんな。自分の気持ちに素直になって考えれば、誰のことが本当に好きなのか分かったっていうのはよくある話だ。でも、黒崎が浮気を繰り返して、ユミ子の気持ちがまたあいつから離れてしまうっていうパターンもよくありそうな話だ。やけ酒飲むのはきっとまだ早すぎる。
 僕は太っちょのお尻を押してカゴに帰らせると、ユミ子の小鳩をも一度呼び出した。こいつを初めてユミ子から借りられたとき、僕はアルコールなしでもハイになれることを知った。一晩中高橋と騒ぎまくった。黒崎のことで落ち込んでるユミ子に鳩を交換しようって切り出したとき、まさかOKをもらえるとは思ってなかったから、僕は高橋に焼き肉食べ放題を賭けていたんだ。高くついたけど、あの焼き肉本当に美味かったな。
 ユミ子が僕に貸してくれたのは、真っ白な小鳩だった。あれから半年経っても、こいつまだ小さいままだ。まだまだ子供だと思っていたけど、大人になっても小柄な種類だったんだ。もうとっくに大人の鳩になってたんだ。
 そいつを止まり木に止まら
せて、頭をゆっくり三回撫でる。小鳩は少し首を傾げ、手を耳に当てるような感じで片方の羽根を少し挙げて見せた。
「こんばんわ、ユミ子。明彦です。今夜は遅くまで仕事だって? あんまり無理するなよ。明日のドライブのことなんだけど、とりあえず朝九時に家を出てユミ子のマンションに向かうから。都合が悪ければそれまでにでんわください」
 そして小鳩をベランダから空へ放つ。すっかり冷え切った夜の空気を引き裂いて小鳩は飛んでいった
。ユミ子の家まで三十分ほどで着くはずだ。小鳩の白がどんどん霞んで闇に融けて消えてしまった。その瞬間、ユミ子の泣き顔が見えた。そんな気がした。今頃ユミ子はどうしてるだろう? いらないことを考えそうになって、僕は自分の頬をパチパチ叩いた。今夜は早く寝る。高橋への返事は明日の夜にしよう。
 寝苦しい夜だった。枕元に置いている手巻き時計の秒針の音がやたらとはっきりと聞こえた。救急車のサイレンがどこかで鳴っている。高橋の話は聞かなかったことにする。ユミ子が黒崎と会っていたからといって、僕のユミ子への気持ちを変える必要なんてあるか? ユミ子の気持ちがどうなのか確かめるまでは、僕はユミ子を信じていればいいんだ。そんな自問自答の繰り返しが頭の中をぐるぐる回っていた。
 それから朝まで僕は何度か微睡み、何度か目を覚ました。ベランダの窓をノックする音が聞こえたのは、明け方に近かった。窓の向こうに白い影がぼんやりと見えた。ユミ子の小鳩が戻ってきていた。
 小鳩を両手で包み込むと、そっと枕元に置いた。小鳩の体は冷たくて小さく震えていた。頭を二回撫でる。小鳩は不思議そうに首を傾げ、目をクルクルと動かす。クルクルと動かす。クルクルと動かし続ける。
 いつもならすぐにしゃべり始めるのに今朝は様子が違う。次第に小鳩の目がキラキラ輝いてくる。そして少し滲んで見えた。僕の目が滲んだのか。それとも小鳩の目か。
「どうした。ユミ子?」僕は小鳩に話しかける。小鳩はしばらく時間をおいて、やっとしゃべり始める。
「もう帰ってきてるわ。明彦からのでんわ。あ。ちょっと待っててね。適当に返事しとくから。もういいじゃないか。ユミ。ほっとけよ。そんなもの。おい。どうせならもうお別れだってはっきり言ってやれよ。だめよ。待っててよ。うまく話をつけるから。あ。ごめんね。明彦君。明日もちょっと具合悪いんだ。今度埋め合わせするから。ごめん。おい。もういいだろ。お前。その男のことまだ好きなのか。え。ばか。でんわが困ってるじゃない。横から雑音入れないでよ。ちょっと待っててよ。明彦君。ごめん。明日もちょっと具合悪いんだ。急用でどうしても出かけなくちゃいけないから。また私からでんわする。ごめんね。また今度埋め合わせするから。それじゃあ」
 そこまでしゃべると小鳩はうつむき、嘴を閉じた。ユミ子からのでんわはそれで終わりだった。僕が傷つくことを知ってて小鳩は伝えるのをためらったんだろうか。それとも、全部はっきり伝えてしまった方が良いと思って、ユミ子だけじゃなくて、わざと黒崎との会話も聞かせてくれたんだろうか。
 小鳩はじっとうつむいたままだ。僕は小鳩を抱きしめる。冷たかったそいつの体が温まるまで抱きしめる。ユミ子の匂いがした。
 これでおしまい、とつぶやいて、僕は小鳩を鳥カゴに押し入れた。我が家のカゴの中は、こいつみたいに僕への最後のメッセージを託された鳩たちで満員だ。
 別れのでんわに返事は不要だ。「それじゃあ、元気で」と伝えてでんわを飛ばせられるほど僕は大きな人間じゃない。だから僕からのメッセージを託されて飛ぶことができなかったでんわはユミ子の元には戻れないし、ユミ子の方
もこのでんわには会いたくないだろう。元の持ち主に嫌われたでんわたちは自由になることも出来ずに、ずっとカゴの中で静かに佇むことになる。
 
このカゴには僕の別れの思い出が詰まっている。その思い出たちは毎晩ひそひそと互いの不遇を嘆きあうのだ。
 今夜また一羽その仲間が増えることになる。

(了)
 

 

以下、蛇足です。
作品の内容とは一切関係ないことです。著作権に関することです。ですので、断っておく必要があるかと思って、付け足します。

この短編はかつてわたしが同名のタイトルで商業誌に発表した作品を手直ししたものです。今では書店で入手することはできませんが、ひょっとして万が一、どこかで目にされた方がいらっしゃらないとは限りません。発表したときのペンネームは山猫とは別の名前です。この作品をわたしが書いたと証明するようなものは持っていませんが、誰か別の人の作品を盗用したものではありません。著作権を争うような作品ではないとは思いますが、断っておく必要があると思って、一応念のために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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山猫🐾@森の奥へ

似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。