2022年も残り数日になってしまいました。俳句の季語ではこれを「数へ日」と言います。残り数日と思うと、なんとなく落ち着かない気分になってきます。
数へ日や明日終はるかも知れぬのに
山人
「旅行に行きたい!」はまだ8月です。
今回の記事は旅行二日目その1(8月23日)、骨寺村荘園遺跡・厳美渓編です。
この日はほぼ一日レンタカーでの移動になります。朝9時に瑞泉郷を出発して、この日の宿泊地・大船渡を目指します。
大船渡・盛でレンタカーを返却してからJR大船渡線に乗り継いで宿へ向かいます。レンタカーを16時までに返さないといけないので、時間的にはかなりギリギリの行程です。
宿まで無事にたどり着けるかどうか、今回の旅行中で一番心配した日でした。
私的な旅行の記録としてまとめていますので、引用や個人写真が多くて読みづらくなっている点は、どうぞ了承くださいますように。
下の赤字の部分が今回の行程になります。
瑞泉郷⑤⇒(車)⇒骨寺村荘園遺跡⑥⇒(車)⇒厳美渓⑦⇒(車)⇒一ノ関①⇒(車)⇒気仙沼⇒(車)⇒大船渡・盛⇒(JR大船渡線)⇒大船渡温泉(泊)
骨寺村荘園遺跡(ほねでらむらしょうえんいせき)
一ノ関駅の観光案内の人に勧められた場所です。
鎌倉時代頃のものとされる『陸奥国骨寺村絵図』に描かれた景観が当時のまま現存する遺跡として知られています。遺跡という表現がされていますが、決して土に埋もれていたものではありません。千年近い昔の地形や環境、景観がそのまま受け継がれ、変わらずに生活が営まれているという場所なのです。
骨寺というとてもインパクトのある地名は、鎌倉時代の『撰集抄』という説話集に、平泉にいた一人の娘が天井裏の髑髏から法華経の読み方を習い、その髑髏を逆柴山に葬ったという話があり、それが由来だとされています。
ですが、こうした地名の起源は、名前に使われている漢字の意味から後世の人たちが想像して作った場合が多くありますから、本当のところはよく分かりません。
稲の波寄せては返す千年余
日本で稲作が始まったのは弥生時代、今から二千年ほど前のことだと考えられています。この骨寺村の地に稲作が伝わるには、さらにそれから数百年の年月がかかったかもしれません。ここを住処に選んだ人々は、少なくとも千年以上、毎年毎年この地で田植えから刈り取りまでの農作業を繰り返し、作った米の大半を年貢として支配者たちに支払い、わずかに残った分を食べて生きてきたのでしょう。親から子へ孫へとそれは受け継がれ、繰り返されてきたのでしょう。寄せては返す波のように。
厳美渓(げんびけい)
一関市の西にあるのが厳美渓、東にあるのが猊鼻渓(げいびけい)。どちらも渓谷美を称えられる名所になっています。それぞれ岩手県の母なる川、北上川の支流沿いにあり、厳美渓を流れるのが磐井川、猊鼻渓は砂鉄川です。石灰岩を侵食してできた猊鼻渓の方が雄大な景色を観ることが出来そうでしたが、先を急ぐわたしたちは厳美渓の方を選びました。厳美渓の面白いのは、すぐそばに近づくまで渓谷の存在に気づかないところです。周辺は水田や畑が広がる平坦な地形で、どこに渓谷があるのかまったく分かりません。いきなり足元に、その平坦な地形が深く掘り込まれた渓谷が現れるのです。写真で分かるでしょうか。
(Wikipediaより)
渓流の向かうから団子鮎走る
渓谷美と並んでここで有名なのは、ロープを伝って川を横断して配達、販売される団子です。「空飛ぶだんご」として知られています。ちょうど川向うからだんごが飛んでくる場面に出会ったので撮影させてもらいました。
鮎が夏の季語ですが、渓流を泳ぐ鮎が見えたわけではありません。鮎たちは団子にも、それを美味しそうに食べるニンゲンたちにも目もくれず川を上っていくのです。
今回は2句詠みました。
骨寺村荘園遺跡にて
稲の波寄せては返す千年余
厳美渓にて
渓流の向かうから団子鮎走る
この続きも、きっと書きます。どうぞよろしくお願いします😅
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