森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

旅行に行きたい!③ ~旅行一日目その2(一関から平泉・毛越寺まで)

今回の記事は旅行一日目(8月22日)その2、一関から平泉・毛越寺までの行程です。
私的な旅行の記録としてまとめていますので、引用や個人写真が多くて読みづらくなっている点は、どうぞ了承くださいますように。
下の赤字の部分が今回の行程になります。

伊丹空港⇒(飛行機)⇒仙台国際空港⇒(仙台空港アクセス線・東北新幹線)⇒一関①⇒(車)⇒平泉②⇒(車)⇒達谷窟毘沙門堂④⇒(車)⇒瑞泉郷⑤(泊)

一関

仙台空港アクセス線から仙台駅で乗り継いだ東北新幹線やまびこ53号盛岡行は時刻表通り11時23分に一ノ関駅に着きました。仙台・一ノ関間は33分の乗車になります。
お盆明け、平日の昼間ということもあってか、一ノ関駅に人影はまばらでした。

ちなみに市の名前は一関市、駅の名前は一ノ関駅だそうです。わたしの地元神戸では、私鉄の阪急、阪神の駅名は神戸三宮で、JRの駅名は三ノ宮です。それぞれ「ノ」が付くには深い訳がありそうですが、長くなるのでここではそれについて言及しません😅

改札を出た通路に仮設の観光案内所がありました。
観光パンフレットをもらいに立ち寄って、中尊寺以外でお勧めの場所を訊ねると、案内をしていた女性は「変わった名前ですが」と前置きされたあと骨寺村荘園遺跡(地図中⑥)を挙げられました。旅行二日目に立ち寄りましたので、詳しくはその記事で触れたいと思います。

一関から平泉まで、そして旅行二日目の最終地点、大船渡まではレンタカーで移動することにしていました。一関で借りて大船渡で返却します。そのレンタカーは12時に予約していました。仙台国際空港への飛行機の到着がアクシデントで若干遅れはしましたが、ここまでは予定通りに来ることができています。

レンタカーの営業所は駅すぐのところにありました。
予約の時間までまだ少しあるので、先に昼食を済ませることにしました。
立ち寄ったのは駅前の洋食屋さん。店内には、地元高校の甲子園出場を祝うポスターが貼ってありました。甲子園では、ちょうど仙台育英と下関国際による決勝戦が行われる日でした。

まだ開店したばかりの時間帯で、お店の人以外、店内には誰もいませんでした。席に着くと小さな紙片と鉛筆を渡されました。
岩手県内の飲食店ではコロナ対策の一環として、来店者名簿を作成することになっているらしくて、その紙片に名前と電話番号を書くよう頼まれました。
個人情報の扱いはどうなってるのかな?
疑問が一瞬頭を過りましたが、正直に名前と電話番号を記入しました。旅行二日目の昼食場所でも同じ用紙を目にしました。
神戸との違いにちょっとびっくり、です。

昼食をとったお店のすぐ隣がレンタカーの営業所です。
手続きのやりとりの際に営業所の方が申し訳なさそうにおっしゃるには、三陸方面ではカーナビが実際の道路に対応していないかもしれない、とのこと。
カーナビが古いのではなくて、復興が急ピッチで進んでいて、その勢いにカーナビの情報の更新が対応しきれていないらしいのです。
実際に、翌23日に太平洋沿いの気仙沼から大船渡方面へ向かう道中で、カーナビは自分の位置を何度か見失いました。
初めて訪れる場所なので、迷子にならないように
カーナビの横にスマホを並べて、スマホの地図アプリを頼りに車を走らせました。

さて、平泉です。

平泉

一関から一般道を走って十数分の距離です。
平泉と言えば世界遺産、中尊寺。中尊寺と言えば金色堂。奥州藤原氏三代が栄華を極めた地。そして、三代秀衡に庇護された源義経。兄頼朝に追われた義経終焉の地。今年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも描かれた源頼朝による奥州藤原氏討伐。弁慶の立ち往生。奥の細道、芭蕉の句「夏草や兵どもが夢の跡」。次々とイメージが膨らみます。
こんなことを言うと語弊があるかとも思いますが、平泉は夢の跡の地、そんな思いをわたしは抱いてきたのです。

平泉について『奥の細道』にはこう書かれています。

三代の栄耀(えいよう)一睡(いっすい)のうちにして、大門の跡は一里こなたに有り。秀衡が跡は田野に成りて、金鶏山(きんけいざん)のみ形を残す。(松尾芭蕉『奥の細道』)

そして「国破れて山河在り 城春にして草木深し」の杜甫の詩の言葉を引用して、芭蕉は平泉の地の往時の姿を偲んでいます。

 

毛越寺

平泉で最初に訪れたのは平泉文化遺産センター。ここで平泉の地理や歴史を予習したあと、毛越寺に向かいました。
毛越寺の歴史について、Wikipediaにはこう説明されています。

寺伝によれば850年(嘉祥3年)、中尊寺と同年に円仁が創建。その後、大火で焼失して荒廃したが、奥州藤原氏第2代基衡夫妻、および、子の第3代秀衡が壮大な伽藍を再興した。中世の歴史書『吾妻鏡』によれば、「堂塔四十余宇、禅房五百余宇」があり、円隆寺と号せられる金堂・講堂・常行堂・二階惣門・鐘楼・経蔵があり、嘉祥寺その他の堂宇もあって、当時は中尊寺をしのぐ規模だったという。金堂の円隆寺は、金銀、紫檀をちりばめ、その荘厳は『吾妻鏡』に「吾朝無双」と評された。
鎌倉時代には鎌倉幕府にも保護されたが、1226年(嘉禄2年)に火災に遭い、戦国時代の1573年(天正元年)には兵火に遭って、長年の間、土壇と礎石を残すだけとなっていた。
(Wikipediaより)

平泉には、中尊寺をしのぐ規模の壮麗な寺院があった、ということです。それが毛越寺。奥州藤原氏を滅ぼした頼朝でさえ焼き捨てることをためらわせたほどの威容だったのでしょう。その寺院、伽藍が今は大半が姿を消し、緑豊かな浄土庭園が残るばかりになっています。庭園のシンボルでもある大きな池は穏やかな水面に、往時と少しも変わらない青い空と雲を映しているのです。
実は、わたしの今回の旅行で一番に訪れたかったのは、中尊寺の金色堂よりも何よりも、この毛越寺の庭園でした。
この庭園の池のほとりに立てば、芭蕉が感じた「国破れて山河在り 城春にして草木深し」という一節を改めて思い出すのです。

 

毛越寺庭園

万緑の池のほとりの堂静か

浄土庭園の代表的な庭園で、大泉が池と呼ばれる東西約180メートル、南北約90メートルの池を中心とする池泉回遊式庭園です。
平安時代末期に作庭されたものがほぼ完全な状態で残されているとのことです。
この池のほとりを時計回りにゆっくりと歩きました。
青く晴れた空には、刷毛で掃いたような雲が幾筋も流れています。その雲が池の水面に映えて気持ち良いばかりです。

次の図は、今も残る礎石などから推定される毛越寺(左)と観自在王院(右)の伽藍配置です。
上の2枚の写真は図中、毛越寺大泉池のほとりの「立石」と書かれた場所あたりから池の中央に向かって撮ったものです。
往時の池には橋が架けられ、金銀、紫檀をちりばめた円隆寺金堂と繋がっていた
ことが分かります。

毛越寺東隣にある観自在王院跡は、二代基衡の妻が造営した寺院の遺跡です。堂塔がすべて失われて水田となっていた地を発掘調査し、伽藍遺構と庭園を修復・整備したのだそうです。

毛越寺庭園と観自在王院庭園の推定配置図(平泉遺跡調査会・平泉町教育委員会)

google earthより作成

 

次の写真の広い草原には礎石は見当たりませんでした。上の推定配置図で言うと、嘉祥寺の正面あたりになります。
蝉時雨が聞こえます。空の青と足元の緑の対比がまばゆいほどです。

嘉祥寺跡

いくつも大きな礎石が残っています。
二代基衡が着工し、三代秀衡が円隆寺の隣に完成させたのが嘉祥寺になります。秀衡はさらに、平等院を模した無量光院も建立していますが、ここには今回の旅行では立ち寄りませんでした。
ちなみに初代清衡が造営したのが中尊寺です。

平安時代後期、お釈迦様の正しい教えが行われなくなってしまう時代(末法)が来るという末法思想が広く人々の心をとらえるようになります。そして、死後極楽浄土に生まれたい(往生する)と願う浄土信仰が流行するようになり、往生を実現させるために、この時期、多くの阿弥陀堂が全国各地に建てられるようになった、ということのようです。
奥州藤原氏の京都への強い対抗心がこうした寺院造営に力を注ぐ源にあったのかもしれない、そんなふうに思うのです。

 

金堂円隆寺跡

伽藍跡棲家にしたる虫の宴

毛越寺の中心伽藍です。ここには54個の礎石が残っているそうです。『吾妻鏡』によると、金堂円隆寺は金銀をちりばめ、紫壇赤木を継ぎ、万宝を尽くした荘厳さだった、とのこと。

 

毛越寺常行堂

風止んで虫の夜深し阿弥陀堂

現存する建物のうちで最も古くて、江戸時代中期に仙台藩主・伊達家により建立されたものです。
手前にある大きなお地蔵様の丸い顔、ぽってり瞼に大きな鼻と分厚い唇。その穏やかな表情はきっと多くの人が親しみを覚えると思います。

 

遣水(やりみず)の遺構

毎年5月にはここで曲水の宴が開かれるとのこと。
曲水の宴とは、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに歌を詠み、盃の酒を飲んで次へ流すという遊びだそうです。その様子をちょっと想像してみましたが、わたしにはとうてい美味しいお酒は飲めそうにありません、、、

池をひと回りして、毛越寺での滞在は30分ほど。次に訪ねる中尊寺では少し長い距離を歩かないといけないようなので、毛越寺は早めに切り上げることにしました。
それでも時刻はすでに午後2時になろうとしてました。すぐ隣にある観自在王院跡は車窓から眺めるだけにして、中尊寺へ向かいました。

 

 

万緑の池のほとりの堂静か

伽藍跡棲家にしたる虫の宴

風止んで虫の夜深し阿弥陀堂

毛越寺にて

 

 

この続きも、きっと書きます、、、ご訪問、どうぞよろしくお願いします😅

 

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山猫🐾@森の奥へ

似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。