森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***30日目(2月15日)***

 
 
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 26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から30日目です。

 

 
2月15日(水)
 夕食後、南蛮美術館、M田さんから電話。
 お互いの近況報告をし、来週あたり地下鉄が復旧したら飲みに行こうという話になった
(※翌16日から神戸市営地下鉄は全線運転を再開します)

 

※M田さんは職場の主査(係長)です。わたしより数歳下の30ちょっとくらいだったでしょうか。当時わたしが務めていた職場は行政職の人と教職の人とが一緒に働いていました。行政職と教職とでは同じ神戸市に務める公務員であっても、勤務形態も違うし給与体系も違います。同じように働いていても行政職の人には残業手当が付きますが、教員には付きません。ご存じかと思いますが、教員には残業という概念がありません。深夜まで働いても、定時に職場を出ても、給与は同じです。職階制(役職)?も違います。行政職の人には係長、課長、部長、局長、、、というような役職があって、局長級の人になると公用車に乗って出かけたりするのです(多分、、、)。ところが、教員には、一般教諭のほかは管理職として校長、教頭がいるだけです。校長先生は電車やバスで出張に出かけます。その校長は行政職の役職で言うと係長くらいに当たるのだそうです。M田さんはその係長です。

 

※飲みに行くと言っても、三宮の繁華街・東門街は震災直後は写真のような状態でした。1994年の暮れ、大阪出張に来ていたI淵(※高校時代の親友、千葉在住)と、この東門街の一角にある当時わたしが行きつけにしていたスナックで呑みました。ママさんから自家製のキムチをお土産にいただいたのを、この記事を書いていて思い出しました。震災から数年後、その店の辺りを歩きましたが、スナックの看板はありませんでした。

 

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三宮 東門辺り(Wikipediaより)

 

 

 ※下のリンクは震災当日の記録です。

www.keystoneforest.net

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
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イラスト/バリピル宇宙さん (id:uchu5213)