森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

ノンフィクション、、、現実と日常と実話との方に「ノン」がついてます **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート31

 
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現実と非現実、日常と非日常、ノンフィクションとフィクション。実話と創作───
並べてみると、現実と日常と実話との方に「ノン」がついてますね ^_^

 

去年の冬から始まったコロナ禍のこの1年は、まさに非日常の日々の連続でした。
ですが
、非日常が続くとそれが日常になる、という妙な気分を、最近わたしは味わうようになってきています、、、なってきてませんか? 多分わたしだけじゃないと思うのです。

コロナ前の取材映像を使ったTV番組を観ているとき、どうして誰もマスクをしてないのか気になったりします、、、気になりませんか?
ゴミ捨てに家を出るときでさえ、マスクをしていないと居心地悪くなったりします、、、なりませんか?
仕事帰り、夜8時を過ぎてなお、お客さんの気配がする居酒屋を胡散臭い目で見たりします。10分過ぎただけでも、、、そう感じませんか?

日常ってどっちでしたっけ?

 

26年前の阪神淡路大震災のときのことです。

被災したわたしの家は、車が行き交う道路から細い路地を入ったところにありました。
路地裏に建っている家々が路地側に傾いていて、今にも崩れ落ちてきそうでした。
家に帰るときは、路地を足早に走り抜けました。
大通りに面した商業ビルが斜めに歪んで建っているように見えて、一瞬足元がふらつくことがありました。
戦場を思わせる焼け跡一帯に漂う焦げた臭いに、気分が塞ぐことがありました。

いつしかそれに慣れました。日常になりました。

 

何も恐れず、何も怖がらず、何も悲しまず。

そうやって平穏に過ごすことができたわたしたちは、実は世界で言うと、当たり前じゃない状況の方にいるのかもしれません。

飢餓を恐れ、暴力を怖がり、肉親の死を悲しむ。
それが世界の当たり前なのだとしたら?

 

現実と非現実、日常と非日常、実話と創作───
さて、「ノン」がつくのはどちらでしょう。

 

 

 

川の流れる水音は心地良いですよね。
木々の葉がこすれる音も気持ち良い。
波の音も焚火の爆ぜる音も、、、(^_^) 

 

地球の日常はなんでしょう。地球の非日常ってなんでしょう。

重力の作用に従って川は流れます。ときに、水かさが増して川からあふれることもあるでしょう。
太陽の陽を浴びて熱せられた空気が膨らんで、そして、風が吹き始めます。
風を受けて葉は揺れます。大木をなぎ倒すこともあるでしょう。
風を受けて海が波立ちます。水面に浮かぶモノを海の底に引きずり込むこともあるでしょう。
熱せられた枯れ枝は火を帯びます。枝に含まれる水分が破裂して音を発します。山々を焼き尽くすこともあるでしょう。

大いなる自然の中で、ヒトが繁栄するときもあるでしょう。ウイルスが繁殖するときもあるでしょう

地殻の移動に従って、地盤はいつも動いています。
動くうちに揺れることはしばしばあります。
ときに大きく揺れることもあるでしょう。

 

現実と非現実、日常と非日常、実話と創作───
さて、「ノン」がつくのはどちらでしょう。

 

 

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今日の記事は 智(とも) (id:btomotomo) さん ururundo (id:URURUNDO)さん の記事に書かせていただいたブックマークコメントをもとにしました。

いつも、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よければtwitterものぞいてみてくださいね。山猫 (@keystoneforest) | Twitter

 

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山猫🐾@森の奥へ

似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。