森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***12日目(1月28日)***

 
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 26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から12日目です。

 

 

1月28日(土)
 朝、母と一緒に出勤。
 午前中、家屋調査、午後は公会堂で待機。区の職員は公会堂内に電話を引き込み、救援物資の在庫に合わせて、避難者へ配給する弁当やサンドイッチの手配に追われている。あちらこちらに物資を詰めた段ボール箱が積まれており、どこに何が入っているか、どれが新しくてどれが古いか、何度か確認する。
 夜、本庁
(※神戸市役所)からの呼び出しで、Y田さん帰る。
 待機の時間を利用して、おそらく係長試験の勉強をしているらしい職員もいる。本来の仕事があり、ここでの仕事があり、将来のことがあり、大変だ。
 深夜1時頃物資の搬入があり、その後は読みかけの本を2時頃まで読む。この日は文庫を二冊読み終える。読後もなかなか寝付けない。

 

 

 

 当時、神戸市兵庫区への救援物資の保管場所になっていた兵庫区役所公会堂には、段ボール箱が山積みの状態でした。ですが、何がどこにどれだけあるのかは、段ボール箱を一つ一つチェックしてみないと分かりませんでした。これでは、被災者の方たちに配りようがありません。どうして、こんなことになってしまったのか、当時のわたしにはさっぱり分からないまま、在庫調べをしていました。

 救援物資がなぜ被災者のもとに届かないのか、届かなかったのか、分かりやすく説明した資料を紹介させていただきます。

 

※損保ジャパン日本興亜「物流ニュース№123」(2016年8月)「災害時に救援物資が被災者に届かない理由とは」https://www.sompo-japan.co.jp/~/media/SJNK/files/hinsurance/logistics/news/2016/b_news123.pdf

 

 このレポートでは、救援物資が被災者に届かない理由を三点挙げています。

  ・物資を受取るばかりで送り出せない

  ・物資を入れるスペースが無くなる

  ・どこに何があるか分からなくなる

 当時わたしたちが直面していたのは、このうちの三点目でした。

 どうしてこんなことになってしまったのか、上記のレポートから引用させていただきます。

 県庁・市役所職員は押し寄せるトラックの大群から必死で救援物資を下ろしながらも、それらの作業を一段落したなら、何とか被災者に向けて物資を送り出そうとする。だが、そこで気が付くのである─どこに何があるか分からない、と。これは当然のことである。とにかくトラックから救援物資を下ろして県庁・市役所内に運び込むだけで精一杯の状況では、どのような物資をどれだけ受け入れ、どこに置いたかを記録する余裕など無い。
 せめて水・食料など物資の種類ごとに決まった場所にまとまっていれば良いのだが、多くの場合、物資は下ろした順にどんどん置かれていってしまっている。こうなると、たとえば避難所の被災者から「2ℓペットボトル入り飲料水を100本が必要である」と言われても、そもそも2ℓペットボトル入り飲料水を100本あるか分からないし、仮にそれぐらいの量はありそうだと見当はついても、100本探し出して集めるまでに非常に時間がかかってしまう。このように「どこに何があるか分からない」状態になってしまえば、実際には物資は無いのと同じことになる。

 物資を送ればそれで良いというわけでは決してない。救援物資を被災者の方々に迅速に届けるためには、予め考え、準備しておかないといけない課題が多くあるようです。

 

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旧兵庫区役所庁舎地階にあった公会堂

震災直後は、ここに区への支援物資が集められていました。

 

 

 ※下のリンクは震災当日の記録です。 

www.keystoneforest.net

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  
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イラスト/バリピル宇宙さん (id:uchu5213)