森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

かぎろいに憧れて

 
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大好きな言葉があります。

「かぎろい(かぎろひ)」という言葉です。

小さく声に出して呟くだけで、澄み切った気高さのようなものを感じて、心に力が湧いてくる。

そんな言葉です。

漢字で書けば「陽炎」となります。

「かげろう」とも読めます。

そう読めば、「春、晴れた日に砂浜や野原に見える色のないゆらめき。大気や地面が熱せられて空気密度が不均一になり、それを通過する光が不規則に屈折するために見られる現象」と言う意味になります。

ですが、これはわたしがイメージしたものとは違います。

「かぎろい」なら「明け方の空の明るみ、曙光(しょこう)」と言う意味になります。(「陽炎」の意味は、どちらも三省堂大辞林から引用しました)

一般的な朝焼けではなくて、「厳冬のよく晴れた夜明け、日の出1時間ほど前に現れる最初の陽光」(宇陀市観光協会情報サイトより)が「かぎろい」です。

「かぎろい」と呟くわたしに見えてくるのはこの「最初の陽光」です。

「かぎろい」と呼べるのは、しかも、安騎野(現奈良県宇陀市)から観ることができるものに限る、と昔聞いた気がして、ずっとそうだとわたしは思い込んでいました。

ちなみに宇陀市はこのあたりです。

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大宇陀迫間25番地には「かぎろひを観る会」が催される大宇陀かぎろいの丘万葉公園があります。

わたしは神戸・六甲山の中腹に住んでいます。

この位置関係からすると、かぎろいの丘から望むことができる明け方の空とほぼ同じ空を、おそらく神戸からも観ることができる、とわたしは思っているのです。

 

ひむがしの のにかぎろひの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ

 

万葉集に収められている柿本人麻呂の代表的な歌です。

この歌で、わたしは「かぎろい」と言う言葉を知りました。

おそらく高校生の頃だったでしょう。

かぎろいの丘があるあたりが、その昔、人麻呂がこの歌を詠んだ地とのことです。

実際には、「かぎろい」そのものは快晴の冬の夜明け前なら、気温や大気などの条件が整ったときには、いつ、どこに現れてもかまわない自然現象のようです。

ですが、人麻呂がこの歌を詠んだ日を特定する研究があります。

万葉集には、この歌の題詞(詩歌の初めにそれが作られた事情などを記した言葉)に「軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌(かるのみこの あきののにやどるときに かきのもとのあそみひとまろのつくるうた)」とあります。

軽皇子は後の文武天皇です。

人麻呂が軽皇子の狩りのお供をしてこの安騎野の地を訪れた日の早朝、東の空に曙光が輝き始めたときに、ちょうど西の空に沈みゆこうとする月影が認められる瞬間―― それは持統六年陰暦十一月十七日にあたるのだそうです。

太陽暦で言えば西暦692年12月31日になります。時刻は午前6時少し前。

その1週間前後なら人麻呂が観たものと同じ「かぎろい」が現れた可能性があるのだそうです。

 

さて、人麻呂の歌が収められている万葉集ですが、この歌集が編纂された時代(収められている歌が作られたのは飛鳥時代から奈良時代にかけての頃)、日本にはまだ「ひらがな」がありませんでした。

すべて漢字で書かれています。

歴史の授業で習った「万葉仮名」と呼ばれる漢字が使われています。

その「万葉仮名」ですが、すでに平安時代中期(10世紀頃)には、読めなくなってしまっていたようです。

その後、「万葉仮名」で書かれた歌に訓み(よみ)をつける取り組みが進められ、やがて漢字とひらがなで表記されるようになりました。

今わたしたちが読むことができる万葉集は、平安中期から続けられてきた千年近い研究の成果だと言うことです。

 

東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ

 

この訓みは、実は江戸時代の国学者賀茂真淵が著作『万葉考』の中でつけたものなのだそうです。

つまり、これは一種の翻訳です。

原文はこうでした。

 

東野炎立所見而反見為者月西渡

 

賀茂真淵が訳す以前は、次のように訓まれていました。

 

あづま野の炎(けぶり)の立てるところ見てかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ

 

と。

けぶり(煙)とは野火のことでしょうか。かまどから立ち上る煙のことでしょうか。

どこにも「かぎろい」は見えてきません。

原文にある14文字をどう訓むか、今となっては確かめようはないのです。

このことを知ったのは、つい最近のことです。

大好きだった「かぎろい」がかげろうのように淡く揺れて、どこかに消えていくような思いがしました。

 

毎朝の通勤で駅へ向かう途中、わたしは東に大きく開けた尾根筋を通ります。

家を出るのが6時20分。

この場所に差し掛かるのがちょうど6時27,8分頃になります。

朝靄に沈んで見えるのは大阪の街。

厚い雲が街を覆っている日の方が多いような気がします。

晴れた日はいつも東の空を写真に収めます。

この場所からさらに尾根を下って約10分後にはいつもの電車がホームに入ってきます。

ゆっくり空を眺めていては乗り遅れてしまいます。

写真を撮るのに費やした時間の分だけ少し早足で駅に向かいます。

 

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2018年11月16日6時27分

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2019年1月1日7時17分

わが家から見た、今年の初日の出です。

 

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2019年1月7日6時24分

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2019年1月10日7時12分

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2019年1月15日6時27分

大阪の街が燃えているようです。

この次の写真から去年の12月に撮ったものになります。

 

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2018年12月11日6時27分

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2018年12月13日6時28分

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2018年12月25日6時29分

人麻呂が歌を詠んだ12月31日の1週間前なら、ちょうどこんな朝だったのでしょうか。

人麻呂が観た「炎」が「かぎろひ」だったのか、「けぶり」だったのか。

もうそれはどちらでもいいかな…

 

わたしは小さく「かぎろい」と呟きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。