森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

風を見た日 (創作短編小説) 2/4

 
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 ※今回の創作「風を見た日」は原稿用紙換算で30枚くらい、文字数だけを数えると1万1千字ほどです。1記事あたりの分量としては多い気がしますので、区切りが良いよさそうなところで分けて、4回連載という形で掲載することにしました。分割することで、読みづらくなることがあるかと思いますが、よろしくお願いします。

 今回は第二回目です。

 

 

 第一回目です。

 

 

 

 

風を見た日 (第2回)

 

 来客を告げるチャイムが鳴った。頼んでおいた引っ越し業者が来たようだ。

 昨日のうちに荷造りはあらかた済ませていた。後は運び出してもらうだけだ。この一年間の一人暮らしで増えた荷物は、すぐに捨ててしまえる類のものばかりだったし、もともと私は身軽な方だった。家具の大半は処分するつもりだった。そうでないと、次に住む部屋はここと比べてずいぶんと狭い。

 咲子の荷物は家具ごと彼女の実家に運んでもらうことにした。

 咲子が遺していったものは、衣類やアクセサリー、書籍、CD、カメラ、そして彼女が撮ったたくさんの写真とアルバム、それだけだった。

 それだけだったけれど、それらすべてに咲子の思い出がこもっていた。これらをどうしたらいいのか、考えあぐねた。

 人はこんな時どうしてきたのだろう。

 たとえどれほど愛した人であっても、その人が遺していったものをずっと大事に抱え続けていくということが、果たしてできるのだろうか。

 すべてを受け継ぐことはたぶん無理だ。私には自信がない。

 どれほどかけがえのないものであったとしても、いつか処分しなければいけない日が来るんじゃないんだろうか?

 もし私たちに子供がいたとしたら、きっとそんなことできやしない。

 ママの、母親の、生きた証として、やがてそれを子供に譲り渡す日が来るまで、私は咲子の想い出と一緒にそれらを守り続けようとしたはずだ。

 それともまた、たとえ子供がなかったとしても、二人がともに暮らした時間がもっともっと長かったならどうしたろうか。

 家にあるすべてのものに彼女と生きてきた証が残っている。それを整理することなんかできるだろうか。

 老いて一人残されることになった私は何もできなくて、少しもやる気がでなくって、何もかも放り出して、、、寂しさのあまり、彼女の後を追う手段を選んだかも知れない。

 そんなことをあれこれ悩んで、一人の時間をやり過ごしたこともあった。

 考えてみれば、咲子と私とはほんの一時期をともに暮らしたというだけで、彼女のいなくなった今、私たち二人を繋ぐものは何もなかった。

 この先、生涯彼女を忘れず、他の誰にも心を移さないと誓うことができるか――。

 私の思いは不意に、それ以上前に進めなくなった。

 咲子の荷物は、まだ健在な彼女の両親に返すのが最良の方法だろう。誰よりも、もちろん私よりも、一人娘を亡くした義父と義母とが、彼女の死を最も痛く受け止めたはずだった。

 私はそう踏ん切りをつけた。

 咲子の遺骨はすでに、彼女の両親の元に返していた。

 四十九日の法要を終えた日、咲子を迎えに来た義父と義母は、娘がお世話になりました、と深々と頭を下げた後、こう続けた。

 できれば、ずっと明さんのお傍に置いていただけたらと思っております。咲子もきっとそれを望んでいますでしょう。けれど、それをお願いするわけにはまいりません。

 咲子は私たちの墓に一緒にいれてやろうと思っております。

 それでよろしいでしょう?

 義母の言葉は、娘を返して欲しい、というように聞こえた。

 私は何も応えられなかった。ただ黙ったまま頭を下げた。

 この人を「お義母さん」と呼ぶことはもうないのだ、私は下げた頭でそう思った。

 そんな私をどう見ていたのか、義父は腕組みをしたまま固い面持ちを崩すことはなかった。悲しみを深く皺に刻んで一気に老けたように見えるその表情から、私は何も酌み取ることはできなかった。

 

 咲子が遺していった中で、一番大切にしていたもの。

 それはきっと彼女が写した写真だったと思う。

 咲子は写真を撮るのが大好きだった。一緒に出かけるたびに、行く先々で惜しげもなくシャッターを切っていた。でも、私がカメラを向けられることはほとんどなかった。

 あのね、私が写真を撮るのは、わーーって、叫びたくなるほど心が動いた時。そうなったら、知らないうちにシャッターを切ってしまってるの。
 そんなふうに写真を撮る理由を説明する咲子を、いつか問い詰めたことがあった。

 咲子は何にでもすぐに感動するのに、僕には少しも心がときめかないんだね?

 何言ってるの。明さんだったら、いつでも好きなときに本物を見られるじゃない。

 彼女はそう応えた。

 けれど私はそのとき、その言葉を言い訳だと思った。

 まだ色づき始めたばかりの紅葉、河原に咲き乱れる菜の花、無邪気に魚を追う子供たち、彼女が愛したものは、そんなどこにでも見られる平凡な風景だった。それらをこっそりと写し取った写真は、一枚一枚にコメントを添えられてアルバムのページに貼り付けてあった。

 残しておきたいものを写真に撮る。写真とは記録。だとしたら、わたしは彼女にとって記録ではなかった。当たり前のことだけど、消えずに残っているものは、残り続けていくものは、変わらずそこにあるものは、記録しなくてもいい。

 咲子はそう言いたかったのかもしれない。

 前に一度整理を済ませていたアルバムを、咲子は最期の入院の間にもう一度整理し直したようだ。残すものとそうでないもの、それを整理しようとしたのだろうか。

 入院生活が始まって一週間ほど経った頃、咲子は私に自宅からカメラとアルバムを持ってきて欲しいと頼んだ。

 それ以来、仕事帰りに病室をのぞくと、私の存在に気づかないほど熱心にアルバムに見入っている咲子の姿がそこにあった。

 咲子が最期に残されたわずかな時間をかけて整理した写真は、それでもアルバム数冊分になった。入院してから撮った写真だけを集めたものでもアルバム一冊になった。

 病室の窓から見える中庭の草花が春に向かって少しずつその表情を変えていく。その様子がつぶさに写真に残されていた。

 やせ細った咲子の身体の一体どこに、こんな体力が残っていたのだろう。

 病院で撮ったフィルムは咲子に頼まれて、彼女の馴染みの写真屋に私が持っていった。

 店の主人は咲子のことをよく覚えていた。

 いいですねえ、奥さんの写真。以前からご贔屓にしてもらってるんですけど、いつだったか、たまたまボクが撮った写真をごらんになって、ずいぶん気に入っていただきましてね。ええ、ええ。

 それで奥さん、写真の撮り方を教えて欲しいっておっしゃいまして。

 咲子の名前を出して現像を頼んだ私に、店の主人は途端に表情をほころばせて話し始めた。

 奥さんのお撮りになった写真を見せていただきながら、いろいろお話ししたんですよ。

 風をつかまえるのがうまい人ですね。木々の間を風が走り抜けていきますよね。風にあおられて、ふわりと葉先が揺れる、花びらが揺れる。その瞬間を見事におさめていらっしゃる。

 桜の蕾がはじける瞬間を撮った写真、あの写真よかったですね……。ちょっと鳥肌立ちましたよ。

 店の主人の言葉は、ただの社交辞令というだけではないように聞こえた。

 桜の蕾ですか……。

 私にはそれがどんな写真だったか、すぐには思い出せなかった。

 確か、お部屋のベランダから写されたとか、おっしゃってましたよ。そろそろまた桜の季節です。楽しみにしてられるでしょうね、奥さん。

 店の主人が知る咲子は、私が知っている咲子とはまったく別人のように思えた。

 その日現像を頼んだ写真が出来上がる日を待つことなく、咲子は逝った。

 私は咲子が見ることができなかったそれらの写真を貼り付けて、彼女の最後のアルバムを完成させた。

 昨夜は、これを最後にしようと、遅くまでそのページを繰った。

 このアルバムも咲子の両親に渡すつもりだった。

 わたしにとって、咲子は記録ではない。だからアルバムはいらない。そう思った。

 

 

(風を見た日3/4 へ続きます)

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第3回目です。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  
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山猫@森の奥へ
似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。