森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

ありがとう、しかない。 **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート24

 
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8月になりました。

暑い日が続きます。

庭の水やり、1日1回では足りません。

お昼近くになるとアジサイの葉もトマトの葉っぱも力なく萎れてきます。

あんまり暑いので空に向かって水やり。

照りつける陽射しに水滴が光ります。

 

この夏はブルーベリーが豊作です。

 

 

ありがとう、しかない。

誰かの、というか、たくさんの人たちのお陰で生きていられる。

わたしは、わたしたちは。

なのにわたしは普段それを見ていないし、見ようともしない。

いえ、おそらく、その誰かの存在に気づいてさえいない。

仕事でミスをしたとき、病気になったとき、事故に巻き込まれたり災害に遭遇したりして命が脅かされるほどの危ない状況に陥ったとき、やっとそれを思い出すのです。

地震、豪雨、酷暑、そしてまた豪雨、、、

つまずいたときにだけそれに気づくのです。

順調に歩いているときにもそれを覚えていられたら、もっと生きやすいのに、とつくづく思います。

ただ、ありがとう、しかない。

そう思います。 

 

 

共に、知る

良心を表す英語(conscience)は、共に、知る、という言葉からきているそうです。

わたしたちは何が正しいことなのか一人ではなかなか判断できません。

誰かと一緒に判断する、誰かに相談するという時間を持つことができれば、冷静に答えを探せるのかもしれません。

誰も見ていなくても、本当は一人じゃない。

もう一人の自分がいつもそばにいます。

そして、わたしたちの言動を静かに見ています。

 

 

親切を素直に受け取る

親切にされたらそれを素直に受け取る。

ただ、素直にそれを受け取る。

そして、ありがとう、と心から言い、頭を下げる。

それができれば、どれほど生きやすいか。

いつの間にか、わたしは若い人たちから気を使ってもらう側の人になってきたようです。

 

 

 

 

 

今日の記事は happy-ok3さん(id:happy-ok3) メイもんさん (id:meymon) の記事に書かせていただいたブックマークコメントを元にしました。

いつも、ありがとうございます。

 

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よければtwitterものぞいてみてくださいね。山猫 (@keystoneforest) | Twitter
 

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山猫@森の奥へ
似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。