春ですね。
世界が一日一日明るさを増していきますね。
明るくなるのは陽射しが世界に満ち溢れてくるからですね。
ですが、それだけではありません。
沸き立つように花が咲き、新しい芽が次々に膨らんでくるからですね。
色とりどりの花が人の目を惹くのはもちろんですが、新芽の鮮やかな緑も世界の彩りを一気に変えてくれますね。
わが家の庭も春まっ盛りです。
シランの葉が一斉に芽吹き始めました。
引っ越してきた十数年前、すでにシランはこの家の庭に生い茂っていました。
それから毎年春になると新しい芽を出し、初夏には鮮やかな濃い紫色の花を咲かせてくれます。
宿根草で年々増えるので、放っておくと庭を占領してしまいそうです。
ですから、これまで何度か根こそぎ掘り返しては球根を取り除き、減らす努力をしてきました。
ですが、数年経つとまた元通りに増えています。
そしてまた掘り返して抜き、また何年かすると元通りに増える、この繰り返しです。
これほど生命力の強い花をわたしは知りません。
次の写真の左端に紫色の花が咲いているのが見えますか?
こちらは蔓桔梗(ツルギキョウ)です。
これから初夏にかけて次々に花を咲かせます。
庭のあちらこちらで咲いていますが、これも植えた記憶はありません。
この家の前の住人の方が植えられたものか、それとも以前からこの地に咲いていて家が建てられてからもそのままこの庭に自生しているものか、そのどちらかでしょう。
蔓桔梗の足元を埋め尽くすように小さな葉っぱを群生させているのはワイヤープランツです。
十年ほど前に友人から鉢植えでいただいたものが育ちすぎて鉢から溢れ出し、今や庭の地面一体を敷きつめる勢いで広がっています。
もはやここに住んでいるわたしたちの意志とはまったく別に繁殖し続けているようです。
夏にはホタルブクロの花も咲きます。
わたしは初めホタルブクロの名前を知らず、ただの雑草だと思い、次々に引き抜いていました。
この花もわたしたちがこの家に住むようになるもっと前から、この庭に咲いていたものかもしれません。
雑草という草はない。それぞれに名前がある。
昭和天皇の言葉だと聞きましたが、植物学者牧野富太郎の言葉だという説もあるようです。
わたしは、ここを自分たちの家、自分たちの持ち物だと思い、好きなように花を植え野菜を植え、収穫をしてまた土を掘り起こし、そして次の苗を植えてきた、つもりでした。
邪魔な草木は容赦なく抜いてきた、つもりでした。
ですが、わたしの知らない花や草木たちがたくさんここに生きていたのです。
たとえばこんな花も咲いています。
淡い紫色の小さな花です。
去年トマト畑だった場所に、収穫した後びっしりと生えている野草の花です。
名前は知りません。
ゴールデンウィーク頃になれば、わたしは鍬を振るってこの畑を耕し、この野草を根絶やしにしてしまうと思います。
今年はここにキュウリを植えるつもりです。
でも、きっとまたその次の春には、この名前も知らない野草はまるで何もなかったかのように平気な表情で、ここにその花を咲かせることでしょう。
わたしがいつの日かこの世界からいなくなってしまった後にも、ここに生きる草や木たちは毎年のように春を楽しみ、暖かな陽射しを存分に浴びながら花を咲かせ続けるのでしょう。
少しうらやましく、そう思いました。
そしてわたしは、自分の身体が野草たちにがんじがらめに根を張り巡らされて、小さな目立たない花を無数に咲かせている様子を、一瞬、思い浮かべました。
それもいいかも知れない、そうも思いました。
こちらの鈴なりになっている白い釣鐘状の花はブルーベリーです。
植えた当初はほんの小さな苗木だったのに、今や大人の背丈ほどに成長し、足元に落ちた実から芽が出て若い苗も育っています。
8月にはこんな感じになります。
ブルーベリーの樹の横に見慣れない花が咲きました。
なんの花か分かりますか?
あ、タイトルですでにネタバレですけど(^^;
全体が分かる写真をもう一枚。
葉っぱの形や根っこの生え際あたりをよく見てみてください。
分かりましたか?
土から白い頭が少しだけのぞいています。
白い花を咲かせたのは、冬の間収穫せずに放っていた大根でした。
大根の花───
素朴だけど美しく控えめな花を言うそうです。
確かにその通りに見えます。
ですが、
わたしは花を愛でたくて大根を育てていたわけではなくて、もう少し大きく大根が育つこと、ただそれだけを願って収穫せずに放置していました。
面倒くさがり屋の言い訳ですが(^^;
それがいつの間にか花が咲いてしまったのです。
まさかこんなことになるとは、思ってもいませんでした。
たとえば、
これがトマトだとかキュウリだとかであれば、花が咲き受粉し、そして実がつくのです。
普通はこの順番です。
この順番なら、まずは花を楽しみ、やがてついた実が次第に大きくなり色づいていく様子を日々眺めることができます。
そして最後に収穫をして美味しく食べることができるのです。
ですが、
大根の場合は違います。
美味しく食べられるべき部分は土の中にすでにあります。
その土の中の大根に蓄えられた栄養分が花を咲かせたのです。
大根を畑から引っこ抜いて、おでんの具やら味噌汁の具にして食べなかったからこそ、この花は咲いたのです。
この白い素朴な花は大根が抜かれなかったからこそ咲いたのです。
こんなに美しい花を見てしまった以上、愛着が湧いて今さら食べることはできません。
花はやがて種をつけることでしょう。
その種がまた次の大根に育ちます。
季節は途切れることなく巡っていきます。