森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

梅雨明け間近の橿原神宮と深田池、箸墓古墳と箸中大池。そして、卑弥呼と「ひめみこ」。

 

 

中国の歴史書『魏志倭人伝』に記載されている邪馬台国の場所や卑弥呼という人物についてはいくつも学説があり、日本古代史上の大きな謎となっています。

小学生のころ将来は考古学者になりたいと思っていたくらい、私は歴史が大好きでした。
真剣に研究したわけではありませんが、邪馬台国が九州にあったか畿内にあったかの論争について、本を読んだり話を聞いたりしている中で私はこんなふうに思っています。

邪馬台国を「やまたい」と読むとして、「やまと」という読み方とあまりに似ています。
偶然というのはかなり無理があると思います。
ですので、邪馬台国畿内説の方が自然だと思っています。
そして、卑弥呼ですが、この文字を「ひみこ」と読むとして、その「ひみこ」が人名とは限らないと考えます。
人ではなく、「姫(ひめ)」「巫女(みこ)」という身分(職業?)を表しているのではないか。
「ひめみこ」という音を『魏志倭人伝』の筆者が「ひみこ」と聞き誤り、そしてそれが人名であると勝手に思い込んでしまったのが真相ではないかと考えます。
この考えが正しいかどうかは分かりません。
ですが、こんな学説も
ある、ということです。

 

で、今回の7月の三連休の二日目。
ふと思い立って、私は橿原神宮と箸墓古墳に行ってみることにしました。
自宅からは、高速道路を使えば車で1時間ちょっとの距離です。
ナビゲーターは奥さんが務めてくれました。

まずは、橿原神宮を訪ねました。
神武天皇の古墳とされる神武陵が近くにあり、その神武天皇を祀るために、明治天皇によって1890年に創建された神宮です。

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お正月の初詣にはおよそ90万人の賑わいがあるという橿原神宮ですが、この日は10人に出会ったかどうかというくらい人影まばらでした。
あまりに暑い日でした。

参道の左手(南側)に深田池があります。
水辺を求めて行ってみると、カメとカモが仲良く寛いでいました。
いえ、本当は暑さを嘆いていただけだったかもしれません。

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池の水面を風が渡ってきてくれれば心地良かったはずですが、この日は風は全くなく、ただただ太陽が照りつけるばかりでした。
近くに橿原公苑野球場があり、ちょうど高校野球の県予選大会が行われているらしくて、熱っぽい応援の声が聞こえていました。

 

近くにある橿原考古学研究所附属博物館に行ってみることにしました。
古代史の勉強、というより、涼を求めて、というのが本音でした。

 

橿原考古学研究所は奈良県内の遺跡発掘調査を担当する中心的な存在です。
入り口で迎えてくれたのは、イワミン(左)と、せんとくん(右)でした。
イワミンはこの研究所のマスコットキャラクターです。

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入場したときにもらった資料の写真。
石見遺跡から出土した鹿形埴輪だそうです。
とてもかわいらしい埴輪でした。

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じっくりと見て回れば結構な時間がかかったかもしれません。
ですが、先を急ぎます。

足早に館内を通り過ぎ、この日のもう一つの目的地、箸墓古墳に向かいました。

 

車を走らせると、道の両側にこんもりと茂った雑木林がいくつも見えます。
それらのほとんどが古墳だそうです。

その中でひときわ大きなものが箸墓古墳です。
箸墓は、奈良県桜井市にある纒向(まきむく)古墳群最大の前方後円墳で、全長は280mほどあります。

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この写真では古墳全体がお濠に囲まれているように見えますが、手前にあるのは箸中大池というため池(ため池100選にも選ばれている由緒ある池みたいです)です。
古墳の向こう側は一般道が周囲を通っていて、道との境には簡単な柵があるだけでした。
中に入ろうと思えば入れなくないようにも見えますが、宮内庁が管轄していて立入りは禁止されています。
これまで箸墓古墳の本格的な発掘調査は行われていないので、誰が葬られているのかなど、はっきりしたことは分かっていません。

 

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)が葬られているとされています。
ですが、最近では卑弥呼の墓として有名です。

ほら、やっぱりここに「ひめ」「みこ」という音が入っています。
「姫命(ひめのみこと)」という呼び名自体は特定の人物を指すのではなく、ほかにも「姫命」がつく女性はたくさんいたと思います。

 

「だから、ひみこは何人もいたのよ」
と車の助手席から奥さんが言いました。

そのうちの一人は九州から貢物を中国に送った「ひみこ」であり、また別の一人はこの「やまと」の地で祭祀を司った「ひみこ」であり、そしてまた別の「ひみこ」はこの箸墓に葬られている

奥さんは最近、日本古代史についてたくさんの本を読んでいます。
亡くなったお義父さんの影響かな?

詳しいことは、いずれ奥さんが何かの機会に書くと思うので、ここでは触れません。

 

纒向の地は奈良盆地東端にあります。

東の山々に近く、一帯は小高い地形になっていて、奈良盆地を広く見渡せる位置にあります。

この地で、はるか昔に「ひめみこ」と人々から崇められた女性は、神を祀り、人々の幸せを祈ったに違いない。

私にはそう思えます。

 

 

 

 

 

  
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