森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

空から降ってきた・・・ (創作短編小説)

寒くて目が覚めた。
僕は手足をぎゅっと縮めて身体を丸くした。

鼻先に何か当たる。むずがゆい。
背中もチクチクする。
誰かが突っついているみたいだ。

 

まったく。ひとがせっかくいい気分で寝てるって言うのに・・・。
悪戯するのだれ?
でも、目を開けないぞ。まだまだ眠いんだから。
このまま瞼を閉じていれば、またすぐに眠れるさ。

でも、背中がなにか変な感じ。気持ち悪い。
背中で何か踏んづけてるのかな?

 

ゆっくりと身体をずらして、変な感じがする辺りに手を伸ばしてみた。

 

なんだ? これ。
チクリとしたその感触に、身体中に電気が走ったみたいになって僕は飛び起きた。
毛布だと思っていたのは、ギザギザの葉っぱやツンツンした茎なんかが丸まった草むらだった。
それと、さっきから僕の鼻を突っついていたのは、へし折れて倒れてきたススキの穂先だった。

僕はじっと目を凝らして辺りを見渡した。
薄暗くて、何があるのかよく分からなかったけど、頭の上にあるのはすぐに分かった。

それは月だった。
頭の上にあったのは天井じゃなくて、細長くしゃくれた三日月の明かりだった。

空がそこに見えていた。


そこで、もう一度、僕は暗闇に慣れてきた目で辺りを探ってみた。
ここは家でもなんでもない。
僕は、野原のど真ん中に、まるで空から降ってきたみたいに、ぽつんと放り出されていた。

 

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一体どうしたって言うんだろう。
一生懸命考えてみたけど、何も思い出せない。

ひょっとして、僕はムユウ病になったんだろうか。寝ぼけたままだれかに誘われてこんなところまで歩いてきてしまったんだろうか。

それとも、悪者に連れ去られて、ミノシロ金を要求されて、用がなくなったからぽいっと捨てられたんだろうか。
ひょっとしてその悪者はまだこの近くにいて僕の様子を見張っているんだろか。

違う違う。きっと僕は空から落ちてきたんだ。
僕は宇宙船に乗って、遥かかなたの星から地球を探検しに来た秘密のスパイで、きっとニセのキオクを頭に入れられているんだ。

 

でも、やっぱり違うな。
これは、きっと夢だ。
あれこれ考えずにもう一度眠ってしまえば、次に目が覚めたときには、元に戻っているはずなんだ。
夢なら、もう分かったらから早く覚めてくれないかな。


風が吹き始めた。
背中がゾクゾクする。
ああ、寒い寒い。

夢のやつ、覚めてくれないなら、こっちから行くしかないか。
僕は草むらから顔をのぞかせてぐるりと周りを見回してみた。
相変わらず暗くてよく分からないけど、家からはそんなに離れていない気がする。
前に一度、蝶々を追いかけてきて見つけた原っぱじゃないだろうか。そんな匂いがする。
だとすれば、家はあっちの方だ。
僕はもそもそと身体を起こして、ちょっと伸びをした。
それから、丈の長い草むらの中をひょこひょこと歩き出した。

歩いていく向こうから懐かしい匂いがする。

きっと家はこっちの方角に違いない。

 

原っぱを抜けて、刈り取りの終わった田んぼのあぜ道をそろりそろりと進んで、また別の原っぱを抜けると、やっと車が通る道に出た。
車は走ってないけど、向こうの方の電柱に明かりが点いているのが見えた。

照らされている建物の影に見覚えがある。間違いない。
この先を右に曲がって、少し坂を上れば、帰れる、帰れる。

もう、さっきから身体中が冷たくて冷たくて、ぶるぶる震えがくる。
急がないと、誰かが僕がいないのに気づいて、おろおろ心配するかもしれないし、それに、僕も風邪をひいちゃう。


僕は駆け出した。
上り坂になってもそのまま走り続けた。
びゅんびゅん走った。

それにしてもこの坂、こんなに長かったかなぁ。
ちょっと息が切れてきた。
ちょっと休んで振り向くと、僕の後ろを追いかけるようにして、東の空がだんだんと明るくなり始めてきた。

家の誰かがもう起き出す頃かもしれない。
僕がいないのに気づいて大騒ぎを始めているかも知れない。

心配してるかな?
それとも、夜中に勝手に遊びに行ったって思ってるかもしれないな。
叱られるかな?

どうしよう、なんて言い訳しようか。

でも、ああ、つかれた、疲れた。目が回りそうだ。
一度にこんなにたくさん走ったのは初めてだよ。

 

懐かしい匂いがした。
家の匂いだ。
目の先に青いゴミ用のポリバケツが見えた。
そこを左に曲がると、僕の家だ。


やっと帰ってきた。

 

いつも通り道にしている勝手口の前で、僕は立ち止まった。
もうすっかり辺りは明るくなってしまった。
キッチンの窓から話し声が聞こえてくる。
みんな起きてきたみたいだ。どうしよう。
やっぱり叱られるかなぁ。

僕はごくりと唾を飲み込んで、そろりと扉を押した。

 

えっとね。
悪者がね、宇宙人と一緒になって秘密のシメイを受けてね。
僕を連れ去ったんだよ。
えっとね。
だからね、僕はね。
ムユウ病がね。

 

僕は家の人に向かって一生懸命しゃべった。

 

 


「まあ、帰ってきちゃったの、困った子だねぇ」
その家の奥さんは、僕に向かってそう声をかけると、僕の首根っこをきゅっと掴んで持ち上げた。


僕は悲しくニャアと呟いた。

 

 

 

 

 

 

  
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