森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

NHK100年インタビュー小田和正 時は待ってくれない。でも、夢を追いかける人のために時は待ってくれる。

『NHK100年インタビュー 時は待ってくれない「アーティスト 小田和正」』(NHKBS3月20日放送)を観た。

 

小田和正がプロデビュー以来約50年間歌い続けてこられた理由がそこで語られ、彼の生き方、考え方が示されていた。

心に残ったのは、自分をあくまでも客観視できる小田和正の凄さと、人生の晩年をどう生きるか、どう迎えるかについて考えさせてくれたことだった。

 

インタビューの内容は以下のように構成されている。

 ・今年70歳になります。本当ですか?
 ・事故のあと
 ・花道
 ・ご当地紀行
 ・オフコースの原点
 ・プロへの道
 ・デビュー後の苦難
 ・ヒット曲を作りつづける
 ・オフコースの終焉
 ・ラブ・ストーリーは突然に
 ・曲作り
 ・歌詞を生み出す
 ・歌いつづける
 ・映画製作
 ・自分をさらけ出す
 ・台湾コンサート
 ・震災、そのとき・・・
 ・小田和正の”これから”
 ・時は待ってくれない
 ・100年後へのメッセージ

 

f:id:keystoneforest:20170326115723p:plain

 

小田和正は1947年9月生まれ。今年70歳になる。

いつまで歌うか、歌い続けられるか、ということについて、

昔、いくつくらいまで歌うんだろうって。若い頃は、30過ぎても歌ってるだろうか、っていう時期があった。そうしたら、30、行けたな。そして、40はどうだろう。40、50、60。60みたいなことは、ああ、そうだよな、とすっと受け入れられたんだけど。まだ、70ちょっと手前なんだけど、イメージがわかない。ただそこに進んでいくしかないというだけのことなんだけど。ただ50を越えて、60を越えてきたようには70はなかなか越えていかないんじゃないかっていうイメージがある。

と、あのいつもの訥々と口調で語っていた。

 

高校3年のとき、母校聖光学院(横浜市)の

学園祭のステージに立って歌ったのが小田和正の音楽の原点だと言う。

4人組でブラザース・フォアのコピーをしたが、そのときすでに、後にオフコースを結成することになる鈴木康博、地主道夫(プロデビュー後まもなく脱退)が一緒だった。

3人組の「ジ・オフ・コース」としてプロデビューしたのが1969年。「群衆の中で」という曲だった。

でも、この頃の曲は小田和正の作品ではなかった。

 

番組の冒頭に映像で紹介された曲は次のとおり。

「ラブ・ストーリーは突然に」(1991年)

「愛を止めないで」(1979年)

「Yes-No」(1980年)

「YES YES YES」(1982年)

「さよなら」(1979年)

「君住む街へ」(1988年)

「たしかなこと」(2005年)

 

山猫が小田和正、というかオフコースを初めて知ったのは「眠れぬ夜」(1975年)だった。ラジオで耳にしてすぐにアルバム(LPレコード)を探した。

その頃の「オフ・コース」は鈴木康博との2人組の時代で、アルバム「ワインの匂い」を聴いて、山猫はオフコースにはまった。

アルバムの最後に収録されている「老人のつぶやき」が本当にしみじみと良い曲だな、と思った。あれから何年何十年も過ぎたけれど、何度となく、気づかないうちに口ずさんでいるフレーズがある。

♪大空へ 海へ 故郷へ
私はもうすぐ 帰ってゆく
私の短い人生は
私の生き方で 生きたから
もういちど若い頃に
戻りたいと思うこともない
ただあのひとに 私の愛が伝えられなかった
それがこころ残りです♪

でも、、、

当時は「新御三家」(西条秀樹・郷ひろみ・野口五郎)、「花の中三トリオ」(山口百恵・森昌子・桜田淳子)、「ロック御三家」(Char・原田真二・世良公則&ツイスト)が全盛期の時代だった。

オフコースを知ってる人は正直あまりいなかった。

世間一般にオフコースの名前が知られるようになったのは「さよなら」のヒットからだ。

 

たまたま乗ったタクシーのラジオから自分の曲が流れてきて、「ヒットするということはこういうことかと思った」と感じたと、小田和正は言う。

そして、ヒット曲を作りつづける、ということについて小田和正はこう語った。

「ヒットしたから次もヒットしなきゃ、という、よくみんなが陥るところへは多分陥っていない。自分が納得してりゃいいんだから。自分が納得してりゃ問題ない」と。

 

小田和正は、自分をとことんまで客観視できる人に違いない。

だからこそ、デビューから50年近くの間、自分の居場所を見失わずに歌い続けてこられたんだろう。そんな気がする。

 

番組のインタビューは、小田和正の母校の講堂(というかホール)で始まった。

2014年10月に行われた聖光学院竣工記念コンサート(3日間にわたって生徒や先生、卒業生のためだけに小田和正は公演を行った)の映像が流れ、そのときのことを小田和正が振り返って言う。 

最後に『my home town』を歌ったらぐぐっときた。いろんなことが…。一番最初の歌詞が、『ここで夢を見てた この道を通った』まさにその場所だったからね」

 ♪ここで夢を見てた
この道を通った
できたばかりの根岸線で
君に出会った
 ・・・・
my home town my home town
海に囲まれて ここで生まれた♪

 

中学高校時代の6年間を通して野球部に所属していたという小田和正。

母校のグランドで「風が好き」ということについて話す言葉が面白い。これを聞くと、ああ小田和正だなとづくづく納得できた。

歌詞を書こうとすると必ず空と風が浮かんでくる。空を見て感じるもの。今、美しい。前にもこういう空を見たんだろうな。同じようだけど、あの日と今は違う。───そういうことを考えるタイプなんだ。青い空があって雲が浮かんでいると、ああいいな、とつくづく思う。

 

小田和正最大のヒット曲が「ラブ・ストーリーは突然に」だ。270万枚売れたという。

目指す音楽性の違いからオフコースが解散したのが1989年。その2年後に出したのがこの曲だった。

その大ヒットについて語る彼の言葉が素晴らしい。

1人になってからほんの2年くらいの出来事だった。ちょっとご褒美早すぎたな。このヒットに足元をすくわれたりしちゃいけないな。こんなときこそ謙虚に、という気持ちでのぞもう、とスタッフたちと話し合った。

小田和正という人は、目指したものをあくまでも見失わない人だな、と思った。すべての出来事は人生の中では途中経過にしか過ぎない、そういうことなんだな。

 

でも反面、謙虚さは、それが過ぎると自分を極端に矮小化してしまうのかもしれない。

東日本大震災に接して小田和正はこんな風に語っている。

音楽なんか、なんの助けにもならない。自虐的な感じで、嗜好品みたいな。平時にしか、音楽なんて役に立たない。そういうレベルのものだったのか、という気持ちだった。

でも、もしかして力になるのかもしれない、と彼は次第に思うようになる。そして作った曲が「その日が来るまで」だった。

震災後、すぐに曲を作ってみんなを励まして、頑張っていたアーティストはいっぱいいますけど、なかなかそんなふうに立ち直れない、ぼんやりしちゃったアーティストもたくさんいます。僕はどちらかというと、そっちの方だった。1年を経て、ようやく曲を書きました。

小田和正は東北の人たちに、自分の気持ちをこんなふうに吐露してから歌い始める。

♪君が好き 君が好き それを伝えたかったんだ
遠くからずっと 君を思ってた
君の好きな ふるさとの街にまた
あの日が戻ってきますように♪

 

音楽を続けてこられた理由は、「音楽が好きだった。腑に落ちた感じが。音楽をやることが楽しかったんだと思う。それに尽きる」と小田和正は振り返った。

そして、

(時は待ってくれないから)急げっていうことよりも、何かを一生懸命やろう、スタートするということが大事。そういう人たちには必ず時は待ってくれる。だから、とにかく頑張るんだということ。

心からやりたいなと素直に思うことがあるならきっと(時は)待ってくれる。

とインタビューを締めくくった。

いつ、どんなときにも、自分の目指すもの、自分の立ち位置を見失ってはいけない。とにかく前を向くことが大事なんだ、と小田和正は伝えたいのかな。

今からでも遅くないよ、という強烈なメッセージを山猫はいただいた気がしている。

 

エンディングで流れたのは「wonderful life 」。

♪what a wonderful wonderful wonderful life ステキな人生
僕らは心の届く場所にいたい
この道ははるか遠く続いている
僕らはずっとその先へ走ってゆく♪

小田和正はきっとまだまだ先を見つめて歌い続ける。

 

最後に、番組中で紹介された曲は次の通り。

「my home town」(1993年)

「群集の中で」(1970年)

「メインストリートをつっ走れ」(1981年)

「言葉にできない」(1982年)

 録音中の新曲(2017年2月)

「その日が来るまで」(2013年)

「time can wait」(1990年)

「wonderful life」(2016年) 

 

 

 

 

 

 

よければtwitterものぞいてみてください。山猫 (@keystoneforest) | Twitter