森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

尻尾の短い野良猫ポチ、飼い猫になる。

猫には2種類の尻尾がある、ということをポチと出会って初めて知った。

尻尾が長い猫と短い猫の2種類だ。

ポチの尻尾はとても短かった。鞭のようにしなやかに自在に動き、第3の手のように、いや、第3の前足のように、かな? 便利に使える細長い尻尾では全然なかった。

まるでお団子がお尻に乗っているだけのような、そんな短い尻尾だった。

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野良猫同士の喧嘩で負けてちぎれたのかと最初は思った。でも、仲良くなってからしみじみ観察してみたところ、どこにも怪我の跡らしいものは残っていなかった。つまり、生まれたときから短かった、ということだ。

それ以来、街で出会う猫をじっくりと観察するようになった。尻尾が短くて丸くなっていたり中途半端な長さで突然ぶつりと切れたようになっている猫がわりといた。

長崎の猫の7割は尻尾が短いか曲がっているらしい、ということを後になって聞いた。ポチの故郷は長崎だったのかもしれない。

ところで、ポチは野良猫だった。わが家の周辺を縄張りにしているオスの野良猫だった。

野良猫だった、と思う。その頃のポチは首輪をつけていなかったから。野良のくせに肉付きも毛並みも良かった。性格も良かった。決して毛を逆立てたり、爪を立てたりせず、「こっちにおいで」と声をかけると、機嫌良く擦り寄ってきてくれた。

勝手に名前をつけた。気に入ったらしく、すぐに名前を覚えてくれたようだ。隣家のブロック塀の上にいる姿を見つけて「ポチ」と声をかけたりすると、ミャオッと一声返事してこっちにやって来るようになった。

最初のうちは家の前の路地で挨拶を交わす程度だったが、ある日、玄関のドアを開け放し、家の中から「おいで」と声をかけると、軽やかな足取りで家に入ってきた。

土間から一段高くなっている廊下に右足だか右手だかをかけた時に、ちょっとだけ動きを止めて、「上がってもいいの?」と訊くような顔つきで山猫(僕)の方を見た。

山猫(僕)が手のひらを上にしてポチの方に伸ばすと、それで安心したようで、トントントンと廊下に駆け上がって山猫(僕)のお腹あたりにもぐりこんできた。

それ以来、ときどき家に上がって何か食べてもらうようになった。

出されたウインナーなんかを美味しそうに食べているポチを見ていて、この愛想の良さがあるからこいつは食べ物には不自由しないんだろうな、と納得した。

 

あの大震災が街を襲ったのは、それからしばらくした頃だった。

 

ポチがかつて散歩していた路地に面して建っていた家は何軒かが崩れ、ガス、水道、電気が止まった。わが家は玄関のドアが外れ、屋根瓦がずり落ち、壁にひびが入った。

しばらく、ポチのことを忘れていた。

 

ようやくライフラインが回復した頃だったろうか、朝、玄関を出ると、家の前の路地に鈴の音が響いた。

音の方を見ると、ポチがいた。

ポチは首に鈴をつけていた。赤くてかわいらしい首輪をつけていた。

いつの間にか、どこかの飼い猫になっていた。震災でいろいろ大変だったから、どこかの家に居候を決め込んだのかな?

そう思い込もうとした。でも、、、

「その首輪、ちっとも似合ってないよ」

いまは別の名前で呼ばれているはずのその猫に山猫(僕)は、そう言って声をかけた。

 

それ以来、ポチとは会っていない。

 

 

 

 

 

 

 

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