お正月を10日も過ぎた先日、年賀状の返信(これもまた年賀状だね)を2通受け取った。
山猫が年末に出した年賀状は遅くとも三が日のうちには届いていたはずなので、相手の方はその年賀状を机の隅に置いたまま返事を書こうかどうしようか悩まれていたのだろうかと想像した。
ちなみにこれは山猫の友人向けの今年の年賀状。
1通は「賀状ありがとう」の書き出しに続いて、こちらが送ったコメントへの返事が書かれていた。その友人は普段から多忙で、お正月も年賀状の返信を考える時間がなかったのだろう、たぶん。気を遣わせるのは返って申し訳ないので来年からは送るのを止めようと決めた。
もう1通は、裏面は印刷された文面だけだったが、おもて面の宛名は墨書されていた。たどたどしい文字だった。山猫が知っているその人の達筆な筆致ではなかった。職場の大先輩だったその方はもうご高齢になられているはずだった。身体を悪くされて誰か代わりの方が返事を書かれたのだろうか、と思われた。やはり来年からは送るのをやめようと思った。
年賀状のやり取りは一体いつまで続けるものなのだろうか。
年賀状のやり取りをやめようとして、これまでも、疎遠になってきた人にこちらから送るのをやめたことは何度もあった。でも、相手の方から賀状をもらって返事を出すと結局やり取りはその後も続くことになった。
やり取りをやめるには相手方との阿吽の呼吸で「もうやめようね」という気持ちが一致しないとうまくいかない。でも、現実にはそんなことなかなか起こらない。
じゃあ、こちらからそれを年賀状の文面で宣言するとしたら?
あけましておめでとうございます
みなさまお変わりなくお過ごしでしょうか
新年を迎えるたびにあなた様からお送りいただいてきた年賀状を
これまで毎年のように楽しく拝見させていただいてきました
長年おつきあいいただきありがとうございました
わたくし、山猫は勝手ながら本年をもって
年賀状のやり取りを一切やめさせていただこうと思っております
まことに身勝手な申し出ではありますが
どうぞご理解くださいますようお願い申し上げます
今後のみなさまの末永いご多幸をお祈りいたしております
と、こんな感じになるんかな?
でも、どうしても絶縁状のように読めてしまう。
実際これまでにこんな内容の年賀状を受け取ったことはないし、正月早々こんなものを受け取ったらきっと気分悪いだろうと容易に想像できた。
かくなる上はこちらからは年賀状を出すのをやめて、相手から届いても返事を出さないスタンスを貫き通す。なんという無礼な奴だと思われようと絶対に返事をしない。それにもかかわらずその次の年にまた相手から届いても返事をしない。どれだけ極悪非道な猫だと思われようと断固として無視をする。これを数年続ければ年賀状のやり取りはきっと終わる。これしかないかな?
たとえば100枚くらい届いていた年賀状が次の年には半分になり、その翌年には十数枚になり、ようやく三年後くらいにはほとんど届かなくなるんだろうか。
でも、その数年間に振りかかってくるストレスの重さを思うと、どうにも踏み切れない気がする。年末のたった一日だけ、その年のお正月にもらった年賀状を整理してパソコンで印刷する、という作業をこなせば済む話だ。
仲介業者というのはどうだろうか。以前話題になった「別れさせ屋」みたいな。
受け取りたくない年賀状は全て仲介業者に転送する仕組みにしておいて、こちらは誰が年賀状を送ってきたか全くわからないようにしておく。万が一トラブルが起これば仲介業者が対応する、と。おそらくほとんどトラブルになることはないだろうから、年賀状のやり取りが途絶えるまで数年かかったとしても1件100円くらいで十分採算がとれるんじゃないかな。どうだろう?
───そうだ、喪中を知らせる葉書があった。
近い親族が亡くなったので年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます、という欠礼葉書だ。あれを応用して何とかならないだろうか?
そう言えば、一度だけ同じ職場の退職間近い先輩に、「ひっそりと少しずつ世間から消えていこうと思ってるので来年から年賀状は不要だよ」と口頭で言われたことがあった。
これならどうだろう?
山猫はもう歳です
何とか仕事は続けておりますが
これから先は「頑張らない」を目標に
ゆっくりと日々を過ごし
近いうちに森の奥へ帰ろうと決めました
どうぞ山猫のことはお忘れください
これまでのお付き合い本当にありがとうございました
ある程度歳をとったら、これくらいなら許してもらえるだろうか?
やっぱりだめかな。。。