森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

もうひとつのオリンピック、ナタリア・パルティカ4連覇

リオデジャネイロオリンピック卓球女子団体1回戦、日本の対戦相手はポーランドだった。

福原愛・伊藤美誠ペアの試合を観ていて気づいた。相手ペアの一人の選手に右肘から先がないことに。

その選手の名前はナタリア・パルティカ選手。オリンピックに続いて行われるパラリンピックにも出場する予定である、とその時知った。

パルティカは生まれつき右腕の肘から先がなかったそうだ。

サーブは右肘の窪みにピン球を乗せて構え、そこから球を上げて打っていた。フォアハンド、バックハンドとも鋭い球を打ち込み、福原伊藤ペアは何ポイントかパルティカに奪われていた。

ダブルス戦の結果は3対1で福原伊藤ペアの勝利となり、日本チームは団体戦メダル獲得への好スタートを切ることができた。

一方のパルティカ選手にとって、リオデジャネイロオリンピックは3連続3回目の団体戦出場だったが、彼女のもうひとつの戦いがここから始まることになる。この次に行われるパラリンピックがその戦いの場だ。

パルティカは7歳から卓球を始め、11歳でシドニーパラリンピックに初めて出場した。リオデジャネイロは5大会連続5度目のパラリンピックである。

北京では、パルティカはオリンピックとパラリンピックに出場し、ふたつのオリンピックに出場する最初の卓球選手となった。しかも彼女はまだ27歳、福原愛選手と同年齢だ。

「何かを成し遂げたいなら、人より少し一生懸命やるだけだ」

「障害があるからといって、世の中が終わるわけではない」

そして、

「右手があるってどんな感じか知らないから、あったらどうだろうなんて想像もできない。これが生まれた時からの私。ハンデを感じたことは一度もない」

とパルティカは自分の障害について語っている。

何度か一緒に練習をしたことがある福原も、パルティカについて

 「彼女のハンディを感じたことがない。それだけ努力しているんだと思う」

と話している。

そして、パルティカはリオデジャネイロパラリンピック卓球女子、立位(クラス10)で見事に優勝を果たす。

これでアテネ、北京、ロンドンに続く4連続金メダル獲得となった。

パルティカ選手の挑戦はきっとまだ続く。

 

なお、今大会では、卓球女子オーストラリア代表のメリッサ・タッパー選手、アーチェリーでイラン代表のザハラ・ネマティ選手も、オリンピックとパラリンピックの両方に出場を果たしている。

 

 

 

 

 

 

 

  
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