リオデジャネイロオリンピックの競泳男子800mリレーで銅メダルに輝いた松田丈志選手が9月2日宮崎県知事を表敬訪問し、同月9日から開催される岩手国体に宮崎県代表選手として出場するのを最後に、現役を引退することを表明した。
松田は故郷・宮崎県延岡市の農業用ハウスのプールで練習を重ねた。「ビニールハウス生まれのヒーロー」は、やがて北京・ロンドン・リオのオリンピック3大会で、あわせて4つのメダルを獲得するトップスイマーに成長した。
「どういう場で締めくくるか、半年前から考えていた」
と言う松田は、国体を引退の場に選んだ理由を
「ブラジルは遠いですから。日本国内のみんなに、もう一度自分の泳ぎを見てもらいたかった」
と晴れやかな表情で語ったという。なんとも松田らしい言葉だ。
そして、松田と言えば、この言葉があまりにも印象深い。
――康介さんを手ぶらで帰らせるわけにはいかない
2012年ロンドンオリンピック競泳男子400mメドレーリレーで銀メダルを獲得した時、松田はこう言って、このオリンピック個人種目でメダルなしに終わった北島康介選手への思いの丈を吐露した。
リレーメンバーは、第1泳者(平泳ぎ)入江陵介、第2泳者(平泳ぎ)北島康介、第3泳者(バタフライ)松田丈志、そしてアンカー(自由形)が藤井拓郎だった。
松田の言葉には続きがある。
27人で取ったと思います――
27人とはロンドンオリンピック日本競泳陣のメンバーの数である。全員分の気持ちを込めて泳いだ、という熱い思いだ。
チームメートからの言葉を受けて北島はこう語っている。
「本当にみんなのおかげ。自分の役割をこなして丈志につなげたいと思っていた」
「個人で取れなかったものを、最後にかけさせてもらったから、もう何も言うことはない」と。
そして、リオデジャネイロオリンピック。
松田はこの大会を32歳で迎えた。個人種目の出場はかなわず、泳ぐ機会は800mリレーだけとなっていた。
このリレーが競技人生の集大成になるだろう。松田は「自分の全キャリアをぶつける」という覚悟で4度目のオリンピックに臨んでいた。
その思いにチームメートたちが気づかないはずはない。今度は松田を「手ぶらで帰すわけにはいかない」と話し合ったという。日本競泳陣全員の思いを一つにして泳ぐ、という伝統は確かに今に受け継がれていた。
今回のメンバーは、第1泳者萩野公介、第2泳者江原騎士、第3泳者小堀勇氣、アンカーが松田丈志だった。
萩野、江原と快調に泳ぎ、小堀は2位で戻ってくる。第1泳者萩野のタイムは前日の200m自由形で自身が出した記録を上回ってさえいた。
アメリカに次いでスタートした松田は最後の競り合いでイギリスに抜かれたものの、チームは見事3位に入った。この種目800mリレーで日本は、1964年の東京大会銅メダルを最後にメダルから遠ざかっていた。実に52年ぶりのメダル獲得だった。
「このメダルをきっかけに、この若い選手がさらに日本の自由形を強くしてくれることを願っている」
と、松田はさらに次の世代への思いを言葉にした。
北京・ロンドンオリンピック200mバタフライ銅メダル
ロンドンオリンピック400mメドレーリレー銀メダル
リオデジャネイロオリンピック800mリレー銅メダル
これが松田が獲得した4つのメダルだ。
松田丈志選手、お疲れ様でした。