森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

死者は生者の記憶のなかにしか生きられない **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート21

 
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死者は生者の記憶のなかにしか生きられない

歌人永田和宏の言葉です。

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生きている者、生き残った者は、生きている限り死者のことを思い返します。

近い肉親であったり、愛した人であったりすればなおさらに。

その人の好きだった食べ物や花、飲み物や音楽、に触れるたび、その人のことを思い出します。

思い出して、亡くなったその人を傍に感じます。

記憶のなかでその人はいつも笑っているのです。

その笑顔を感じることで、癒されるものがあります。

一方で、その笑顔を思い出して心に痛みを覚えることもあります。

その笑顔にもう二度と触れることができないから、辛くて辛くて、いっそ忘れてしまおうとして、でも、忘れることができなくて、泣きながら笑います。

笑いながら泣きます。

そしてそれでも、その人のことを忘れまいとして、記憶し続けることで、その人がかつて生きていた証は消えずに残されていくことになります。

その記憶をさらに自分から先へ語り継ぐことができれば、その人の思いは永遠に途切れることはなくなるはずです。

 

 

7年前の今日、突然失われた1万5895人の命と、いまだに行方が分からない2539人の命。

その人たちの命の記憶は今もまだ痛いほど明らかに生者のなかに残っています。

 

今日もhappy-ok3さんの記事「3・11の重荷を心に覚え愛と祈りを」にブックマークを書きました。

happy-ok3さんの目はいつもやさしさに満ち溢れていて、子供たちやお年寄りや心に傷を受けた人たちに向けられています。

「死者は生者の記憶のなかにしか生きられない」。歌人永田和宏の言葉だそうです。だから生きている限り思い返し、語り継がないといけないと思っています。

 

 

死ぬことはたぶん、、、怖くありません。

いつか誰もがたどることだから。

ですが、死んだ自分が忘れられてしまう、いなかったことにされてしまう。

そのことこそが耐えられないほど怖いのです。

わたしが生きた何十年がなかったことにされてしまう。

いえ、そもそも、わたしがこの世に存在したことすらなかったことにされてしまうかもしれない。

そのことが怖い、のです。

 

あの津波によって、突然命を奪われてしまった人たちには、怖いと思う瞬間すら与えられなかったかもしれません。

何が起こっているのか分からないままに意識を失ってしまわれたかもしれません

残されたわたしたちは、知っている限り、その人たちの生きた証を記憶していかないといけません。

 

わたしは神戸で震災を経験しました。

わたしが記憶のなかに留め、その先へ語り継いでいかないといけないのは、神戸で震災に遭遇したときの出来事です。

どんなに小さな記憶であっても、二人の息子たちには必ず伝えていかなければいけないと思っています。

ひょっとして、伝えることがわたしの生きる証であるのかもしれません。

 

たぶん面と向かってうまくしゃべることができないので、記事に書いて残しています。

 

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山猫@森の奥へ
似顔絵はバリピル宇宙さん (id:uchu5213)に描いていただきました。