森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

春は必ず巡ってくる。 **ブックマーク・ツイートから** 山猫ノート20

 
f:id:keystoneforest:20170801214436p:plain

 

 

もうすっかり春です。

わたしが春の到来を実感するのは、庭にサクランボの花が咲くとき、そして朝焼けを見るときです。

朝焼けは通勤途上で見る朝焼けです。

朝焼けが見えるその場所を通過するのは毎朝6時半頃。

家から駅まで歩く、ほぼ中間地点です。

そのいつもの場所から大阪の街と大阪の空を眺めて一息ついて、さらに残りの駅までの通勤路を急ぎます。

 

いつもの場所のいつもの時刻で朝焼けを久しぶりに見たのは2月27日でした。

冬の一時期は朝なのに夜のような街明かりが見えたものでした。

もう春はすぐそこに来ている。

淡く温かい色に空を染める朝焼けはそれを教えてくれます。

f:id:keystoneforest:20180310220336j:plain

 

庭にサクランボの木があります。

背丈は2mくらいです。

ホームセンターで苗木を買ってきて植えたものでした。

十数年前のことだったと思います。

以前は鈴なりの実をつけたものでしたが、去年はほとんど生りませんでした。

いえ、生らなかったんじゃなくて、鳥除けのネットを張るタイミングが遅くて、カラスたちに食べられてしまったんだ。

そう思っていました。そう思おうとしていました。

でも、違いました。

やはり実が生らなくなっていたようです。

数日前、そのサクランボの花が咲き始めました。

f:id:keystoneforest:20180310182216j:plain

花はまばらにしか咲いていません。

まだ咲いていないのか、それとも、それだけしか咲かないのか。

蕾をひとつもつけていない枝が何本もあります。

木はかなり弱ってきているようです。

水さえ欠かさなければ花が咲き実が生るものだと甘くみて、冬の間、ろくに世話もせずに放ってきたせいです。

数年前から、花も葉もつけない枝が気になり始め、試しにその枝を少し強くひねってみると、枯れ枝のように簡単に折れてしまうことがありました。

これから先に起こるだろう危なさに漠然と気づいてはいました。

それなのに、何の手も打たずにきました。

それがいよいよはっきりとした形となって現れてきたのだと思います。

不安を抱えつつも、面倒くさがって具体的な行動に移さなかった、ということの結果です。

 

実は、庭には以前、梅の木もありました。

この家に引っ越してくる前からあった木なので、以前のことは分かりません。

ですが、引っ越してきた当時は、実った梅で梅酒を大きな瓶に漬け込むことができるくらいたくさんの実が生っていました。

それが次第に実る梅のサイズが小さくなり、やがてその小梅さえ生らなくなり、ついには花さえも咲かなくなってしまいました。

それで、どうしようもなくて数年前に抜いてしまったのです。

それもおそらくは、世話をしなさ過ぎたせいだったでしょう。

そんなあれこれがあったのに、今回もまた同じことの繰り返しです。

特定の何かの出来事を皮肉っているわけではありません。

こんなに分かりやすい失敗を繰り返してしまう、それが自分の弱さです。

分かっていればなおせるはずなのですが、、、

 

 

春らしくない話に脱線してしまいました。

ごめんなさい(^^;

無理やりですが、春の話題です。

太陽がもたらす暖かさも言葉が与えてくれる温かさも、寒くて辛くて縮こまった心を開き、気持ちを和らげてくれます。

 

春は必ず巡ってくる。

そう思うだけで、厳しい寒さを耐えることができます。

辛い思いもいつか必ず晴れるときがくる。

辛さを耐える勇気をくれるのは、必ず巡ってくる春を信じられるかどうかだと思います。

happy-ok3さんの3月9日の記事「はるをさがしに・神の使いの贈物」に書いたブックマークです。

春は心の春ですね。心が冬に閉ざされている友達に届ける心の春ですね。気持ちの温かさが心の冬の寒さを和らげていくのですね。

 

 

 

そして、桜の蕾も膨らみ始めました。

f:id:keystoneforest:20180310225632j:plain

 

 

 

 

 

 

 

  
よければtwitterものぞいてみてください。山猫 (@keystoneforest) | Twitter