森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

猫次郎と亀太郎。猫は平和を感じる。

 
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次男Kの話です。

彼も大の猫好きです。あ、私も。

いろいろ事情があって本物の猫が飼えないので、セブンイレブンのくじ引きで当てたピカチュウのぬいぐるみで代用しています。
あ、違った。
ピカチュウは猫じゃなかったですね。

 

どうして猫が好き?
と訊くと、

可愛いからやんか。
と少しも面白くないコメントが返ってきました。

確かに猫は可愛いです。

 

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言うまでもないと思いますが、この写真は次男Kではありません。
猫のイメージ画像です。
この子の目をじっと見つめながら、次男Kと猫について思いを馳せてみます。

 

私は次男の名前を「猫次郎」にしたい、と半分くらい本気で考えたことがあります。
それが実現していたら、次男Nになっていたところです。

私が生まれたとき、私の両親は父方の祖父に名付け親になってもらおうとしたそうです。
祖父が付けてくれた名前は「亀太郎」でした。

めでたい鶴亀にあやかった、とても縁起の良い名前だと、おそらく祖父は考えたのだと思います。

実際、祖父は彼の長男、つまり、父の長兄にあたる人を「亀一」と名づけています

危ないところでした。

ほんとうに。


両親は祖父にいろいろ言い訳をしてくれて、なんとか別の名前にすることに成功しました。

私の人生はスタート段階で大きくつまずくところでした。

もし、「亀太郎」さんが私のこの記事を読まれることがあったとしたら、気を悪くされたとしたら、ごめんなさい。本当にごめんなさい。

その苦い過去を思い出し、私も「猫次郎」はあきらめることにしました。

もし、「猫次郎」さんが私のこの記事を読まれることがあったとしたら、気を悪くされたとしたら、ごめんなさい。本当にごめんなさい。

 

少し前のことです。
NHK総合テレビ「プロフェッショナル」で動物(猫)写真家の岩合光昭さんを取り上げていました。

放送中に彼が話した中で心に残った言葉がひとつあります。

それは「猫は平和を感じる」

 

番組の中で、岩合さんはボスニア・ヘルツェゴビナの猫を撮っています。

そこでは内戦の最中、街から猫たちが姿を消した、と言います。
そして、内戦終結後しばらくして、また、街に猫たちが帰ってきたそうです。
猫たちは独特の嗅覚で、夏はより涼しい場所を、冬にはより暖かい場所を探し当てる。
それと同じように、平和が感じられる場所に集まる習性を猫は身につけているのだ。

こんな話だったと思います。

平和な街には猫たちが集い、猫たちが集う街は平和だ、ということでしょうか。

 

DNA分析や最新の研究によると、猫は自ら家畜化したらしい、という報告がなされています。

農耕を始めた人間に、まずネズミたちが近づき、それについて猫たちがやってきた。
そして、猫たちはそのまま人間と一緒に暮らし始めた。
人間たちもそれを拒みはしなかった。
という理屈です。

つまり、猫は人間が家畜化したのではなく、自ら人と暮らす道を選んだのです。

さらに、猫の中でも、人間のことが好きというDNAを持つ種が人に近づいてきたとも言います。

 

次男Kは、暗いところが嫌い(怖い?)、一人でお風呂に入るのが嫌い(怖い?)です。
暗いところ、一人ぼっちが嫌いで、そんな事態に陥りそうなときは必ず親に寄り添ってきます。

岩合さんが言う「平和」。
それは
きっと猫と人との関わりの中に見つけることができるのでしょう。

次男Kも平和を求めているのだと思います。

 

この記事をアップする前に彼に読んでもらったら、そうそう、と大きくうなずいていました。

ところで、彼はこの記事の冒頭部分を音読したのですが、2行目のところを「かれも いぬの ねこずき です」と読み上げました。

ちょっとお馬鹿なところは一体誰のDNAなんでしょうか(^^;

 

 

 

 

 

  

  
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