森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

一番最初の記憶。ぶかぶかの革靴を履いた日。

記憶は欠けらでしか存在できない。

私たちは立ち会った出来事のほんの一部しか覚えていられなくて、その出来事の前と後とを思い出そうとしても、それらは白い混沌とした靄の中をどんどん加速しながら遠ざかっていくばかりだ

ようやく見つけた記憶の欠けらを拾い集めて、出来事を再構築してみても、果たしてそれが本当に自分が経験した記憶なのかどうか、誰にも分からない。

 

私の一番最初の記憶。

おそらく私が二歳半くらいの頃の記憶、それは一枚の写真とともにある。

 

母が私を呼ぶ声がする。そのとき、私は家の中で何かをしていたのだと思う。

「外に出ておいで」と呼ばれて、私は玄関の土間にあった父の革靴をつっかけて、庭に出て行く。

父の革靴は大きすぎてブッカブカ。
私はそれを引きずりながら庭を歩いていく。

誰かが何かを顔の前にかまえて私の方に向けている。あとから思えばあれはカメラだ。

母の笑い声が聞こえる。

私はその場にしゃがみこんでカメラに収まる。

 

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これがそのときの写真だ。

記憶はそこで終わっている。

 

写真が残っていても、本当のところ、私の一番最初の記憶は、確かに私が経験したことなのかどうか、自信はない。
この写真を見て、あとから私が再構築した偽の記憶なのかもしれない、と半分くらい思っている。

 

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おそらくこれは、革靴を履いた写真と同じ日に撮ったものだと思う。

カメラなんてうちにはなかったはずだから、誰かから借りてきてその日に何枚も撮ったはずだ。

ちなみに私がかぶっているのは、バスの運転手をしていた父の仕事用の帽子だ。これも大きすぎてブカブカ。

 

私が二歳の頃から五歳の頃まで住んでいた家には縁側があった。
そして、縁側の外の庭の先にお風呂があった。
つまり、風呂場は別棟になっていた。

先日の記事で、そのお風呂のことを書いた。

 

www.keystoneforest.net

 

その記事で触れた、五右衛門風呂に沈んだ弟のことを心配するコメントをmamichansanさん、sakatsu_kanaさん、black-koshkaさんからいただきました。

ご心配ありがとうございます。

とりあえず、弟は今も健在ですから、おそらく当時も無事だったのだと思います。

 

そのときの私の記憶の欠けらは、弟の声が消えた風呂を振り返るとそこに弟はいなくて、さきほどまで弟がいた場所に丸い木の板が浮かんでいたこと、木の板を持ち上げるとそこに弟が沈んでいたこと、弟はこちらを見上げて目をまん丸に開けていたこと、その目と私の目が合ったこと。

これだけだ。

あのあと、弟を風呂の中から必死で引っ張り上げたのかもしれないし、風呂場から親たちがいる母屋までは一度外に出ないといけなかったから、急を知らせるために裸で母屋まで走ったのかもしれないし、それとも、弟は何事もなかったかのようにぷかりと自分で浮かび上がってきたのかもしれないし、でも、何も覚えていない。

 

全然関係ないけど、足の下に沈めて使う板のことを「げすいた」と言った。

最初の火をおこすのに松葉を使っていたという知人からは、その松葉のことを「こくば」と言ったよと教えてもらった。 

 

あ、私の一番最初の記憶の写真。
あの写真って、革靴を履いた山猫だ。

あの映画も故郷の映画館で観たなぁ、と思ったけど、あれは「長靴をはいた猫」だったっけ。

 

 

 

 

 

 

 

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