森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

三日月の夕。 (創作短編小説)

 寒い寒い夜だった。風がガタガタと病室の窓を叩いていた。しっかりと締め切ってあるはずなのに、部屋の暖房は全然効いていなかった。冷たい風は僕の心のぽっかりと空いたすき間に吹き込んでいた。僕と両親はばあちゃんの危篤の知らせを受け、少し前に病院に駆け付けたところだった。

 

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 北部の山間部では今年初めての雪が降ったと、来る途中の車のラジオで言っていた。強い北風が落ち葉を舞い躍らせ、もうすぐこの町にも冬を運んでくる。病室には看護婦さんたちが慌ただしく出入りし、誰の顔にも険しい表情が刻まれていた。
 そしてたった今、ばあちゃんが死んだ。八十歳だった。僕の何倍も生きてきたから、もう命のゼンマイが切れてしまったんだ。以前も時々、ばあちゃんのゼンマイが切れかかったことがあって、そんなとき僕は背中をさすってあげた。優しく優しく想いを込めて背中を撫でれば、命のゼンマイが巻けるんだそうだ。ばあちゃんは、丸くなった背中をぴんと伸ばして、気持ちよさそうな顔をしていた。
「タカオはええ子やなぁ」
 いつも穏やかな口調でこう僕を誉めてくれた。
 何日ぶりかで会ったばあちゃんは、ベッドの中で小さく小さくなっていた。今まで家の畳の上でしか寝たことがなかったばあちゃんだから、さぞかし居心地の悪い思いをしていたろうなって、どうでもいいことが頭に浮かんだ。
 ばあちゃんは人一倍寒がりだから、冬が大の苦手だった。庭に積もった雪を部屋に持ち帰ったときは、とっても辛そうな顔をして僕を見つめていたことがあった。
「夏に雪が降れば、タカオと一緒に遊んであげられるんやけど」
 ばあちゃんは、本当に寂しそうにつぶやいていた。
 僕はベッドの中のばあちゃんの背中を一生懸命さすってあげたけれど、もう命のゼンマイは働かなくなってしまっていた。
 僕は初めて人の死を看取った。でも正確に言うと、担当の医者が「ご臨終です」と告げる瞬間に立ち会っただけだ。すぐ側でばあちゃんを見ていたけれど、いつばあちゃんが生の世界から死の世界へと渡ったのか、はっきりとは判らなかった。ゼンマイが切れてしまっても、ばあちゃんの表情は眠っているときと少しも変わりはないように見える。
 僕は、医者に言われるまでばあちゃんの死に気づかなかった。もし、ばあちゃん自身が他の誰かのこんな瞬間に立ち会ったなら、きっといろんな声や気配を感じただろう。ばあちゃんはそんな人だった。
 表面上ばあちゃんが死んで変わったことと言えば、顔や腕に付けられていた管やらマスクみたいなものが取り外されて、人造人間みたいだったのがやっと人間らしい姿に戻ったことと、時々聞こえてきていたため息みたいなうめき声がしなくなってしまったことくらいだった。でも、これでもう二度とばあちゃんの話を聞くことは出来なくなってしまったし、一番残念なことは、あの不思議な瞬間にもう出会えなくなってしまったかも知れないっていうことだった。
 ばあちゃんは特別な感覚を持った人だった。
一緒にいるといろんな場面に出会えた。自然を操れる魔法使いみたいな能力を身につけていた。
 例えば、山菜採りやキノコ狩りに連れて行ってもらったとき、たくさんの花が開く瞬間を見せてくれた。ばあちゃんが「タカオ、よく見ときよ」って教えてくれた花のつぼみは、僕とばあちゃんの見守る前で、ゆっくりと背伸びをするように花びらを開いていってくれた。じっと耳を澄ますと、咲いた瞬間に花から歌声が聞こえてくるんだってばあちゃんは言ってた。いくら神経を集中させても僕には何も聞き取ることは出来なかったけれど。
 川原を歩いているときは、ばあちゃんの指差す方を見ると、大きな川魚がざぶんと空に身を躍らせた。ばあちゃんには「今から跳びはねるぞ」っていう川魚の勇ましい掛け声が聞こえてきたんだそうだ。もちろん僕には、何も聞こえてはこなかった。
 寂しいこともあった。お花見をしていたときだった。ばあちゃんの「ほらっ」って言う声と同時に満開の桜の花びらが一片、静かに散っていった。今まであたりには一枚も落ちてはいなかったのに、ばあちゃんの声が合図であったかのように、次から次へと花びらが散り始めた。舞い散る花びらの中でばあちゃんは、目を閉じたまま顔を宙に向けて、誰かと会話しているようだった。
「タカオにもいつかきっとこの声が聞こえるようになるよ」
 そう言って僕を慰めてくれた。
 ばあちゃんは、自然の中の命の始まりや終わり、そして命が激しく弾ける瞬間にその音や声を聞いたり、感じたりすることが出来る人だった。ばあちゃんはそれを操っているのではなく、それを感じて僕に教えてくれるだけなのだ。人には誰にでもそれを感じる力があるのだそうだが、ほとんどの人はそれに気づかないで過ごしてしまうのだ。コツさえつかめれば、その声を聞きたいという気持ちさえ心に生まれれば、出会える人はいくらでもその瞬間に出会える。そして、その声を聞くことが出来る。
 人が流れ星に出会う確率は一体どれくらいだろう。ばあちゃんと一緒に夜空を眺めていると、必ず流れ星を見た。星が流れるのは、その命の始まりの瞬間なのか、終わりの瞬間なのか判らないけれど、星の命が弾ける瞬間であることは間違いない。やはり、ばあちゃんにはその音が聞こえるのだ。僕はいくつもの流れ星をばあちゃんと二人で眺めた。
「夜空をぼんやり見ているとね、急に胸が締めつけられるような気になるときがあってね。
そして、星のささやきが聞こえる。そっちに視線を移すとね、さあっと尾を引いて星が流れる」
 心を澄ませば、自然の営み全てを受け入れることが出来る。ばあちゃんは自然に溶け込むコツをつかんだ人だった。
 そのばあちゃんが死んだ。
 その死を悲しむ気持ちが心を重くしていく反面、僕は今夜なら、何か不思議なことに出会えそうな気がしてきた。僕は病室をこっそりと抜け出した。
 山の中腹に建てられている病院の前庭からは、視界の底に町灯りがいくつか見渡せる。
吐く息が白く凍って流れていく。僕はそれを目で追っていた。冷え込みはかなり厳しくなってきていた。
「タカオ」
 僕を呼ぶ声が聞こえた。ばあちゃんの声だった。声は頭の中でこだましている。
 ばあちゃんのしわくちゃな顔を思い出した。
もうばあちゃんに会えないんだって思うと、涙がじわっとにじんできた。
 目をつむって上を向いた。声は真上から聞こえてきたように思えた。さっきまでの強い風はもう止んでしまっていた。あたりはしんと静まり返って、何の音も聞こえてこない。
とても厳かな気分になった。
 ばあちゃんの魂はどこかへ消えてしまった。でも、形を変えていつかまたきっと出会えるときが来る。
 ばあちゃんは教えてくれた。その瞬間を真剣に願えば、出会える人はいくらでもそれに出会えるよって。声は命の永遠を信じる気持ちが生み出すんだ。その声は、かつて別れた人や様々な命あるものたちが生まれ変わってくる瞬間に聞こえてくるんだ。彼らが姿を変えてまた会いに来てくれるのだから、それを信じてさえいれば必ずその瞬間に出会えるんだって。
 目を開けると深く青い空が見えた。夜空はどこまでも遠く遠く広がって見える。海の底
をのぞきこんでいるようだった。たくさんの星が空全体に散らばっていた。強い風の吹いた後は、とても星がきれいだ。一つの雲もなかった。上弦の三日月も浮かんでいる。のん
びりと星空で船を漕ぐようにぷかりと浮かんでいる。
「タカオ」
 またばあちゃんの声がした。じっと星を見つめた。涙のせいでちょっぴり星明かりがゆ
がんで見える。こぶしで目をこすってみた。
 星がきらりと浮き上がった。
 そしてゆらりゆらりと揺れ始めた。
 やがてそれらはふわりふわりと落ちてくる。
一つ二つ三つ、星が夜空からはがれて舞い降りてくる。静かな夜を散歩するように、四つ
五つ六つ、流れてくる。ふわふわ流れて、僕の頬っぺたに着地した。雪だった。
「ばあちゃん、雪が降ってきたよ」
 僕は雪が生まれる瞬間に出会った。寒い寒い夜、星の光が凍って雪に変わった。
 何かが消える瞬間って、何かが生まれる瞬間なんだ。きっとこれがばあちゃんが教えてくれた感覚なんだ。ばあちゃんも命のゼンマイが切れてしまった瞬間、何か新しいものに生まれ変わったんだ。
 きらきら光る粉雪だった。空一面に無数の雪が揺れていた。青白く瞬いて、もうどれが星でどれが雪だか見分けがつかなくなってしまった。
 どんどん降り積もって、明日はきっと町中をきらきら輝く光で埋め尽くしてしまうようだ。
 ふと見ると、上弦の三日月の窪みに雪がふわりと積もっていた。

 

 

 

 

 

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