森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

スナフキンならなんて言うだろう。

仕事や人間関係に迷ったとき、悩んだとき、僕はスナフキンに相談します。

 

スナフキンは僕の心の中にいるから、詳しい事情を説明する必要はありません。

スナフキンはしばらく考えて、「答えは君自身が見つけるしかないね」とか、「海を見に行けばいい。一日中海を眺めていれば、答えはきっと見つかるさ」とか答えてくれます。

それは、そのとき僕が直面している問題の何の解決にもならない答えだけど、「ああ、そうか」と僕は納得します。スナフキンに相談したことで少しだけ心が軽くなったような気もします。

 

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文章を推敲するとき、僕はOチューターの声を聞きます。

チューターは先生、という意味でしょうか。僕が以前通っていた大阪文学学校では、クラスの講師の先生のことをそう呼んでいました。

大阪文学学校は詩や小説の書き方を学ぶところです。

クラスの生徒たち。生徒といってもほとんどの方が社会人でしたが、その生徒たちは、仕事を終えた後、教室に自分が書いた小説を持ち寄って批評会をするのです。

人の作品を批評しながら、文章の書き方を自分自身で見つけていきます。

Oチューターは、毎回の授業でクラスの生徒が書いてきた小説作品を読んで、構成や主題、人物の描き方の成功しているところ、うまくいっていないところなどを端的に分析し、分かりやすく説明されました。

Oチューターの声に添って文章を読み返すと、無駄に長い部分が見えてきます。どの部分をそぎ落として、どの部分を膨らませていけばいいのか、見えてくることがよくあります。

 

生きることに息苦しさを感じたとき、僕は父の声を聞きます。

父はとても無口な人でした。一緒に遊んだ記憶もあまりありません。と言って、しつけに厳しかったわけでなく、とても優しい人でした。そして仕事熱心な人でした。

父は三十年前に脳腫瘍で亡くなりました。入院していたある日、主治医の先生が書いてくれた診断書の封筒を勝手に開けて中を読んでしまいました。

脳腫瘍って書いとるわ、と父はつぶやきました。

父はそれ以外なにも話しませんでした。取り乱したり、泣いたりすることもありませんでした。父はただ黙ってベッドに横になりました。

僕はもうすでに父が死んだときの年齢を超えてしまいました。

仏壇の上に掛けてある父の写真を見上げて、僕は訊きます。

 

父は何も言ってくれません。

ただ、写真の父がときどき微笑んだり、悲しそうな表情になったりするだけです。

 

 

 

 

 

  

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