森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

山猫ノート 阪神淡路大震災記 3

 その後、私は一度、部屋に戻る。パジャマ姿のままだったから、着替えをしようと思った。でも考え直して、パジャマを脱がず、その上にジーパンとトレーナーを重ね着して、スキーウェアもさらに着込んだ。スキー用のグローブも持った。さほど寒さは感じなかったが、無意識のうちに長期戦を覚悟していた。
 スキーウェアの内ポケットに、財布と父の位牌を入れた。家にヘソクリなんて隠してなかったから、その財布がその時の私の全財産だった。位牌の方は、何かあった時にはこれだけは頼むよ、というのがかねてからの母の言いつけだった。今から考えれば、何重にも重ね着したあの格好で、私は地震から二、三日は過ごしたように思う。
 位牌を取りに入った二階の仏間は、線香の灰が飛び散って一面真っ白になっていた。仏壇は倒れてひどくへしゃげていた。あの日、母は留守だった。介護の仕事で、入院した患者さんに付き添って病院に泊まっているはずだった。
 仏間に転がっていた蝋燭とライターも一緒にポケットに突っ込んで、もう一度家の外に出た。その時はすでにラジオを聴いていた。テレビのスイッチは入れた覚えがない。電話にも触れなかった。どちらも、それが機能するなど端から考えなかった。ついでに言えば、出勤のことすら、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。こんな状況の中で社会生活がいつも通り機能するはずなんてない、と無意識のうちに思っていたのだろう。それとも、仕事のことを忘れてしまうほど気が動転していたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

  
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