森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

バレーバスケ部奮闘記 3

山猫Mが通う高校では、存続させる部活動をいくつかに絞ったようだ。

一度減らしてみて、希望者が多ければ同好会から改めてスタートさせるつもり、らしい。山猫Mがそう言って悔しがっていた。

1年生の勧誘は諦め、2年生から人を集めるしか手はない。1人はアテがあった。もし、2年生だけでチームができるなら入部するよと言ってくれる友達がいた。元野球部だ。野球部を辞めてからどの部活にも入っていなかった。

残りは他の部活から探してくるしかない。

実は、2年生だけでメンバーが揃わない部活動は他にいくつかあった。その一つがバスケットボール部だった。2年生は3人。

山猫Mはバスケ部の新キャプテン(2年生)に声をかけた。バレーボールを続けたいなら自分が動くしかない。2人しかいない部活だけど、一応山猫Mはバレー部の新キャプテンである。

一方のバスケ部にしてもバスケを続けたいなら他に手はなかった。美味しい提案というしかない。

利害を同じくする2つの部活の意見が一致するにはほとんど時間はかからなかった。

バレー部2人、バスケ部3人、元野球部1人目、2+3+1=6

ちなみに元野球部の1人はバレー部だけに所属する考えなので、バレー部員6人、バスケ部5人となって、それぞれギリギリ試合ができる人数だけ何とか揃うこととなった。

最後に一番肝心なことは、それぞれの部活動の顧問の先生、最終的には学校にそれを認めてもらうことだったが、学校側としてもさすがにそれを拒むわけにはいかなかったようで、特に条件も付けられず、すんなりと許可が得られた。

これがバレーバスケ部誕生の顛末である。

すぐに先に夏休みが迫っていた。練習日をどうするのか、大会への参加をどうするのか、細かな調整が残ってはいたが、バレーバスケ部はまずは走り始めることにした。

9月初旬には土日の二日間に続けてバレーとバスケの公式戦をこなす、というハードスケジュールも経験した。このとき、バレー部が土曜日の試合に勝ち残ると、日曜日のバスケ部の試合と重なってしまう、というような危ない場面もすり抜けていかなければならなかった。

そして、10月を迎え、いよいよ春高地区予選が始まった。

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