森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

美しくなければ、体操は曲芸と変わらない

去年の梅雨のある朝、腰に激痛を感じた。顔を洗おうとして洗面台で前屈みの姿勢をとったときだった。

決して年甲斐もなく、張り切って重い荷物を持とうとしたわけではない。

以前から何度か腰に違和感を感じたことがあったし、その症状についても人から聞かされたことがあった。だからすぐに思い当たった。いわゆる「ギックリ腰」だった。

それから数日仕事を休んだ。起きて家の中を歩くこともままならず、仰向けに寝て身体を伸ばすことも苦痛だった。かと言って、横を向いたままの姿勢を続けることも辛かった。

寝ることも起きることもできず、ただただ、痛みが引くのを待つしかなかった。

1年以上経ち、ようやく治ったような気になってきていた。が、数日前、また、腰に違和感を覚えた。無理をしてはいけない。日中はコルセットをして用心している。

そう言えば、ギックリ腰の金メダリストがいた。体操団体と個人総合で金メダルを獲得した内村航平選手だ。

個人総合の最終種目の鉄棒での神がかった演技で逆転優勝を果たしたとき、彼は腰を押さえ、時折顔をしかめていた。腰を痛めたことは容易に想像できた。

「腰がやばいです。鉄棒の中にエンドウっていう腰を曲げる技があるんですけど、そこでギックリ腰みたいになって。これでよく着地が止まったと思う」

と内村は明かした。

予選から始まり、団体決勝、個人総合まで、わずか5日間で計18種目をこなした身体は限界を超えていたようだ。

その後行われる個人種目別床の決勝への出場が危ぶまれたが、内村は強行した。

「自分で権利を勝ち取って、オリンピックの舞台でそういうこと(棄権)をしていいんだろうかと思って、出れるんだったら出たほうがいいだろうと思って、腰が壊れても出てやろうと思った」

と語る内村の言葉に迫力を感じざるを得ない。

その後の内村の腰の状態がどうなったのか、詳細は報道されていない。 

「体操はただ勝てばいいスポーツじゃない」、「難しいものをいかに美しく見せるか」だ。

それに内村はこだわる。その根底にあるのは、

「美しくなければ、体操は曲芸と変わらない」

という彼の体操に対する思いだろうか。

多くの国や選手たちが技の難しさを示す難度点(Dスコア)の向上を図るようになり、一芸に秀でたスペシャリストが次々に生まれる時代である。

そこにあるのは、 6種目すべてをこなしてメダル1個、種目別でもメダル1個。同じメダルを目指すなら個人種目別の練習に特化したほうがはるかに効率が良い、という皮算用だ。

それでも、時代の流れに逆らうように、内村は技の難しさと美しさの両立という理想にこだわり続けている。

そのこだわりが、

オリンピック個人総合連覇、世界体操競技選手権6連覇という結果につながったはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

  
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