森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

山猫ノート 5

アリに食べられた焼き肉レタスのその後である。

芽出しした苗(?)はまだたくさん残っていた。それをもう少し育ててから植え替えることにした。

スーパーで売っている卵10個が収納できるプラスティックのパックに土を詰め、それに苗を植え替えて育てた。

そして、2,3センチに育ったそれを畑に植えたところ、なんとか根付いた。今のところアリの行列もできていない。

心配なのは、これで収穫に間に合うかどうか、である。まだ芽は5,6センチにしか育っていない。

で、やっぱり心配なので、保険をかけた。

スプラウト好きのアリには悪いが、プランターを用意した。ここで育てればアリにやられることはない。

そこに4種類の葉物野菜の種を蒔いた。たか菜、からし菜、紫たか菜、わさび菜が育つらしい。種のパックの袋には「ちょい辛ミックス4」と書いてある。

約25日間で収穫できる、と表示してある。今、10日目くらいか。ごく順調に育っている、ように見える。

最初からこうすればよかった。これなら、アリもやってこないし、きっとダンゴムシもナメクジもやってこないに違いない。

でも、直接地面に植えた方が美味しくできるような気がしていた。

 

『野音』の6ページ目、7ページ目。

・私のは依然として『これも』文学である。私には自分の書くものを『これが文学だ』とはいえないし、また主張したこともない。

尾崎一雄「これも文学、これも人生」

 

・シカゴでの事件。盗んだ小切手を銀行で現金化しようとした男。電話帳をめくって、たまたま目にとまった名を借用。裏面にサインをして窓口へ。しかし、その名の主は、窓口係の女性の亭主だったため、怪しまれてたちまち逮捕。

不明

 

・病原菌など強すぎたらいかんのだ。潜伏期もなしに発病となり、あっというまに殺す力を持っていたら、伝染によってひろまることもないわけだ。たぶん古代の地球にはとてつもない強力な病原菌がいたのだろう。それが弱者生存の原理によって、現在のような程度に下ってきたという説はどうだろうか。

星新一

 

・京都の寺の小坊主が、「鴨居にかかっております、あのしゃれこうべは源頼朝公のしゃれこうべ」と言う。善男善女の中から、「源頼朝は頭の大きい人だったっていうが、あれ、小さいじゃないか」と声が出て、「ご幼少のころのであります」。

この話が好きで、いつか志賀先生に話したら、「君なんかが生まれる前から知ってるよ」と言われた。

阿川弘之

 

・おれの一生はあの冷たい炎のようなものだ。ーーーおれの過ぎて来た跡には、一すじ何かが残っているだろう。それも他の風が来ると跡方もなく消えてしまうようなものかも知れない。だが、その跡には又きっとおれに似たものがおれのに似た跡を残して行くにちがいない。或運命がそうやって一つのものから他のものへと絶えず受け継がれるのだ。

堀辰雄

 

1983年の4月から6月まで、学生時代から継続していた家庭教師の仕事だけで食いつないでいた。仕事があるのは夕方から。勉強をみる前に夕食を出してくれる家もあった。それが何軒かあった。

勉強を2,3時間みるので、帰宅はけっこう遅くなった。そのまま、夜中過ぎまで、本を読み、音楽を聴いて過ごした。テレビは観なかった。アパートの6畳ひと間の狭い部屋にあったのが小さな白黒テレビだったせいかもしれない。

この頃聴いていたのはおもに洋楽だった。

昼前に起きて朝昼兼用の食事をとり、日課のように出かけたのはレンタルレコードショップだった。そこで、新しく入荷したLPレコードを借りてきてカセットテープにダビングし、それをまた次の日に返しに行く。そのついでに、また次のLPを借りてきてダビングする。

覚えているのは、ただそれを繰り返しただけの毎日だ。

 

 

 

 

 

 

 

  
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