森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

山猫ノート 1

 

 

台風がまた週末の日本列島を襲うようだ。豪雨の頭にゲリラが付き、台風にはスーパーが付き、気候は確実に変わってきている。

山猫は昔、ガリ版でプリントを印刷したことがある。青焼きのコピーで仲間内の会報を作ったこともある。やがて、白く焼ける普通のコピー機が普及し、和文タイプライターからワープロになり、どんどん小型化し、パソコンが出現した。今やこの文章はiPhoneで書いている。

ほんの数十年の間の変化である。

そして、今度は異常気象だ。

気候の異常化が日本の地方に住む一般人にもはっきりと体感できる。

ついこの前まで、台風は日本列島のあんなにすぐ間近で発生したりしなかった。北海道をあれほどの豪雨が襲うこともなかった。

誰も大きな声で言わないが、この先どうなっていくんだろう。

9月に入った頃から山猫が住む街では暦通りに秋の気配が感じられるようになった。

朝夕の過ごしやすさ、暗闇の草むらから聞こえてくる虫の声。

このまま、秋が来て欲しい。

稲刈り後の田んぼで鬼ごっこして遊んだ昔が懐かしい。稲わらの匂い、彼岸花。カラスたちものどかに鳴いていた。

まだ文章を手書きするしか方法がなかった頃から山猫は心に留まった言葉をノートに書き溜めてきた。

「ノート」をもじって『野音』とそのノートの表紙に書いている。それはいつからかパソコンで書くようになってはいたが。

 

・死を迎える日を、カトリックでは魂の「誕生日」という。死が辛いのは、現世の暮らしが楽すぎるからだ。しかしこの世が辛いと、死は解放そのものだ。(「哀歌」曽野綾子)

 

・いまでは、ほとんどすべての書店、CDショップで、店頭にベストセラーを並べているけれど、二十年前は一部の、下品な店しかそんなことしてなかった。本やレコードは個人の嗜好で買うもので、ベストセラー買いは、本やレコードを愛しているのでなく、ただ話題に乗り遅れたくない人間のすることだった。
ベストセラーを並べてやすやすと売れてしまえば、売り手としてこんな楽な商売はない。ベストセラー並べは、製作者と販売者の本来の工夫を忘れさせ、買い手の教養を育てない。(「送り手の側の論理」/2004.6.6「日本経済新聞」朝刊掲載エッセー/保坂和志)

 

・至誠にして動かざる者は未だ之れあらざるなり。誠ならずして未だ能く動かす者はあらざるなり(誠意を尽くして事にあたれば、どのようなものでも必ず動かすことができる。逆に不誠実な態度で事にあたれば、何ものをも動かすことは決してできない)。(『孟子』離婁上)

 

 ・詩人の茨木のり子に「答」という詩がある。〈ばばさま/ばばさま/今までで/ばばさまが一番幸せだったのは/いつだった?〉。茨木の問いかけに、山形県の祖母は間髪を入れず答えた。〈「火鉢のまわりに子供たちを坐(すわ)らせて/かきもちを焼いてやったとき」〉。

 

・子どもは人口の20%だが、未来の100%だ。(イギリス、フレア内閣の財務相ブラウン)

 

 

 

 

 

 

 

 

  
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