森の奥へ

街の喧騒に惹かれて森を出た山猫はいつの間にかずいぶんと歳をとった。いつかもう一度故郷の森の奥へ帰りたいと鳴くようになる。でも、街の暮らしはなかなか捨てられるものじゃない。仕方ないから部屋の壁紙だけ森の色に染めてみた。

東京から東京へ。人馬一体、法華津寛選手。

 

 

騎手と馬とが一つになったかのような、なだらかで巧みな乗馬を「人馬一体」という。

日本人最年長のオリンピック選手、法華津寛選手とその愛馬との結びつきはまさに「人馬一体」そのものだ。

法華津は、2008年の北京オリンピックに愛馬ウィスパー号とペアを組み馬場馬術団体と馬場馬術個人で出場した。その時、彼は67歳。日本選手として史上最高齢のオリンピック出場であった。しかも、それは彼にとって2度目のオリンピック出場だった。彼の最初のオリンピック出場は1964年の東京オリンピック、馬術障害飛越団体と個人だ。東京オリンピックからロンドンオリンピックまでの間44年、これは出場期間についてオリンピック史上最長記録である。

法華津は、続いて71歳で前回のロンドンオリンピックにも出場し、日本選手最高齢記録を更新した。この時のペアも前回と同じウィスパー号だった。

法華津75歳で迎えたリオデジャネイロオリンピックには、新しくペアを組んだザズー号で挑むはずだった。しかし、サズー号が体調を崩したため競技会に参加できず、オリンピック挑戦を諦めることとなった。ウイスパー号は2013年11月、「左前脚のひづめにひびが入り、そこから感染。立っているのもつらそうだったので」安楽死していた。

もし仮に、彼がリオデジャネイロオリンピックに出場していたら、1920年のアントワープオリンピックに射撃団体で出場し、銀メダルを獲得したオスカー・スパーン選手のオリンピック最高齢記録、72歳を凌げたはずだった。

史上最高齢となる出場に関して法華津は、

「国際大会である程度活躍する事によって同年代のじいさんの励みになれば、これほど嬉しい事はないでしょう」

と語っている。

彼が「じいじの星」と呼ばれるゆえんである。

「今後についてはまだ何も決まっていない。まずは馬を元気にさせたい」

と、愛馬を思いやる法華津寛選手とサズー号とはまさに「人馬一体」だ。

もし彼が次の東京オリンピックに出場すれば、2つの東京オリンピックに選手として出場するという快挙となる。その時、彼は79歳。決して夢物語ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

  
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